2009年08月06日
日本一古い博多名物・鶏卵素麺
|博多意外史 日本三大銘菓・鶏卵素麺 松屋
|黒田五十二萬石筑前藩で一番古いお菓子屋さんの話 巻二
〜 日本三大銘菓の中でも一番古い「鶏卵素麺」の歴史 〜
黒田五十二萬石筑前藩中、最古の暖簾を誇る、菓子店・松屋が、一子相伝してきた「鶏卵素麺」は、加賀三代藩主前田利常侯の命名という石川県金沢市の森八「長生殿」、長岡藩御用菓子屋であった新潟県長岡市の越の雪本舗大和屋の「越乃雪」と並ぶ日本三大銘菓の一つだ。
三つの銘菓のうち、「長生殿」と「越乃雪」は和菓子の系統に分類されるが、「鶏卵素麺」は南蛮菓子だ。
一般に言う和菓子は、穀類を主に製造する京菓子が江戸幕藩体制が安定していくのにともなって都から全国へ波及したもので、その始まりは、早くても江戸前期後半。
@ 日本三大銘菓で博多名物
松屋の「鶏卵素麺」
一方、卵と砂糖をふんだんに使う、鶏卵素麺、金平糖、丸ボウロ、カステラなどの南蛮菓子は、ガリオン船が分ける波に乗って海外から戦国期にもたらされ、南蛮文化を色濃く受けた地域に広がった。その伝播は、和菓子よりも百年は早い。
イエズス会の宣教師・ルイスフロイスは織田信長に金平糖を土産に持って行くと何よりも喜んで食べていた、とその日本滞在記・日本史に記している。
南蛮菓子は、徳川幕府が海外交渉の禁を発する以前の交易が許され、ポルトガルやスペインの船が行き来していた時代からあるもので、その製法を一子相伝で伝える菓子店があるとすれば、製法の最初の伝授は信長、秀吉が生きた時代という古さなのだ。
九州帝国大学・文学部教授であった宮本又次氏は、その著書「近世商人風土記」(日本評論社・1971年刊)で、初代・松屋利右衛門は、主家の商用に番頭として長崎へ従って行った際に「鶏卵素麺」の製法を鄭という明人から学んだとしている。
@ 金平糖を食べていた信長
長崎行きに従った主家というのが、博多の豪商三傑の一人とされた大賀宗九を祖とする大賀家だ。
大賀家のもとは、キリシタン大名として知られたドン・フランシスコ・大友宗麟の大友家に仕えた大神一族であった。その家伝によれば、大友家没落とともに侍を捨て、姓も大賀に変えたのだという。旧主・大友家は広く海外交易も行っていたが、長崎の豊後町(現・興善町)には貿易のための代官所があった。大賀家が大神を名乗り、まだ大友家の家臣としてあった時期は、長崎における海外交易の拠点でもあった代官所に関わる職掌にいたのかと思われる。江戸期に入り商家となっても、長崎に出店を設け出島建設にも大きく関わるなど、長崎との関わりが深かった。
鶏卵素麺も、他の南蛮菓子同様、その伝播は信長、秀吉の時代にさかのぼる。
初代・松屋利右衛門が、その製法を知ったのも、主家大賀について訪ねた、長崎に海外からの交易商人が集っていた頃の話で、それは古いことなのだ。
(つづく)
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【連載索引】
博多意外史 日本三大銘菓・鶏卵素麺 松屋
黒田五十二萬石筑前藩で一番古いお菓子屋さんの話 巻一
|黒田五十二萬石筑前藩で一番古いお菓子屋さんの話 巻二
〜 日本三大銘菓の中でも一番古い「鶏卵素麺」の歴史 〜
黒田五十二萬石筑前藩中、最古の暖簾を誇る、菓子店・松屋が、一子相伝してきた「鶏卵素麺」は、加賀三代藩主前田利常侯の命名という石川県金沢市の森八「長生殿」、長岡藩御用菓子屋であった新潟県長岡市の越の雪本舗大和屋の「越乃雪」と並ぶ日本三大銘菓の一つだ。
三つの銘菓のうち、「長生殿」と「越乃雪」は和菓子の系統に分類されるが、「鶏卵素麺」は南蛮菓子だ。
一般に言う和菓子は、穀類を主に製造する京菓子が江戸幕藩体制が安定していくのにともなって都から全国へ波及したもので、その始まりは、早くても江戸前期後半。
@ 日本三大銘菓で博多名物
松屋の「鶏卵素麺」
一方、卵と砂糖をふんだんに使う、鶏卵素麺、金平糖、丸ボウロ、カステラなどの南蛮菓子は、ガリオン船が分ける波に乗って海外から戦国期にもたらされ、南蛮文化を色濃く受けた地域に広がった。その伝播は、和菓子よりも百年は早い。
イエズス会の宣教師・ルイスフロイスは織田信長に金平糖を土産に持って行くと何よりも喜んで食べていた、とその日本滞在記・日本史に記している。
南蛮菓子は、徳川幕府が海外交渉の禁を発する以前の交易が許され、ポルトガルやスペインの船が行き来していた時代からあるもので、その製法を一子相伝で伝える菓子店があるとすれば、製法の最初の伝授は信長、秀吉が生きた時代という古さなのだ。
九州帝国大学・文学部教授であった宮本又次氏は、その著書「近世商人風土記」(日本評論社・1971年刊)で、初代・松屋利右衛門は、主家の商用に番頭として長崎へ従って行った際に「鶏卵素麺」の製法を鄭という明人から学んだとしている。
@ 金平糖を食べていた信長
長崎行きに従った主家というのが、博多の豪商三傑の一人とされた大賀宗九を祖とする大賀家だ。
大賀家のもとは、キリシタン大名として知られたドン・フランシスコ・大友宗麟の大友家に仕えた大神一族であった。その家伝によれば、大友家没落とともに侍を捨て、姓も大賀に変えたのだという。旧主・大友家は広く海外交易も行っていたが、長崎の豊後町(現・興善町)には貿易のための代官所があった。大賀家が大神を名乗り、まだ大友家の家臣としてあった時期は、長崎における海外交易の拠点でもあった代官所に関わる職掌にいたのかと思われる。江戸期に入り商家となっても、長崎に出店を設け出島建設にも大きく関わるなど、長崎との関わりが深かった。
鶏卵素麺も、他の南蛮菓子同様、その伝播は信長、秀吉の時代にさかのぼる。
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(つづく)
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Posted by Frco.Don at 06:57│Comments(0)
│筑前國菓子風土記