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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2024年01月28日

道兼・花山天皇『源氏物語』筑紫の五節舞

〜光の君へ 第4回「五節の舞姫」〜


「五節の舞」に立つまひろ・紫式部が、段田安則・兼家以下、藤原北家九条流父子が居並ぶなかに、忘れもしない母の命を奪った玉置玲央・藤原道兼がいることに気づく第4夜

『源氏物語』「少女(をとめ)」の巻には筑紫の五節の舞姫を光源氏が懐かしみ贈答歌を贈る場面があります
五節の舞は十一月に行われる新嘗祭と大嘗祭の豊明節会に舞われる舞

舞姫たちは、中丑日に内裏の常寧殿に設営された五節所に夜になり参入。参入の儀と舞姫たちの予行演習である帳台試、天皇の前で行う御前試、天皇や上層貴族が舞姫に付き従った童女を見る童女御覧、等々の儀式がおこなわれます

大嘗祭でも舞われるという事ですから、今上陛下の即位・令和の大嘗祭の際にも舞われたのでした

凰稀かなめ・赤染衛門、黒木華・源倫子らと、「竹取物語」について語り合う場面でまひろ紫式部は、「かぐや姫の考えはまことにさっそうとしている」と云う主旨を述べます
紫式部は、『竹取物語』を物語の先例として敬愛していました。『源氏物語』には、そのことを物語る記述が随所に散りばめられてあります

「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」や
「かくや姫を見つけたりけん竹取の翁よりもめづらしき心地するに」 と、正体のわからない相手や物事がまるでかぐや姫または竹取物語のようだと、幻想的な比喩として、、

さらに続いて「いかなるもののひまに消え失せんとすらむと、静心(しずこころ)なくぞ思しける」




前回、坂東巳之助・円融天皇の食事に毒をもることを、父兼家から命じら実行する道兼。道兼のこうしたダークな横顔は、本郷奏多・花山天皇を騙して退位させた寛和の変(寛和二年986.6月22日)の実行者であった史実を裏づけに描かれたかと考えられます

寛和の変は、吉田羊・詮子の子懐仁親王を皇位につけ、天皇外祖父の位置に立とうと謀る父兼家が主謀したものでした。寵愛する井上咲楽・藤原忯子の死により大きく気を落とす花山天皇。道兼は、出家し仏門に入れば忯子とも会えると唆し退位を成功させます




兼家が病をえ関白を辞すにあたり、花山退位を実現し、懐仁を塩野瑛久・一条天皇として即位させた功労者として、自身の関白叙任を道兼は期待するものの、長兄・道隆にその地位を奪われ(永祚二年990.5月8日)ます。兼家はその後死去

長徳元年995.3月9日、病を得た道隆が嫡子伊周を関白の位に着けようと奏上するが許されず、はかなく4月10日に死去。享年43
道隆の死をうけて道兼は待望の関白に就任しますが、5月8日、道兼もまた世を去ります


『小右記』正暦二年991九月七日 〜 道兼、座を起ちて、参議の座の前に 〜

『初任大臣大饗雑例』勧盃作法事による)内大臣<道兼。>、座を起ちて、参議の座の前に来たる。盃を執りて進み、尊者に勧む。未だ此の例を知らず

『権記』正暦二年991.九月七日 〜 道隆、内大臣の官を辞して道兼に譲る 〜
太政大臣の官は、摂政正二位藤原道隆朝臣の任ずべきなり。而るに謙譲の心、深くして、内大臣の官をも辞び申してき。此の般、猶ほ昇進せしめば、彼の心に違ひぬべし。右大臣従一位藤原為光朝臣は、数代に歴仕へて、朝の重臣とあり。仍りて殊に太政大臣の官に上げ給ひ治め賜ふ。正二位行大納言源朝臣は、供へ奉るべき次いでの人に有るに依りて、右大臣の官に任け賜ふ。正二位行権大納言藤原道兼朝臣は、朕の親舅なり。朝恩を蒙るべき人なるに依りてなむ、殊に内大臣の官に任け賜ふ。又、正二位行権大納言藤原済時朝臣を大納言の官に、正三位行権中納言藤原公季朝臣を中納言の官に、参議従三位藤原道頼朝臣を権中納言の官に、参議従三位藤原伊周朝臣を権中納言の官に、正三位藤原道綱朝臣を参議の官に任け賜はく」と勅りたまふ天皇が御命を、衆、聞きたまへと宣る
『権記』藤原行成日記

『小記目録』長徳元年995五月八日
左大臣重信・関白道兼、薨ずる事

記事内のリンクに不具合がある場合には、ご一報いただけるとしあわせです。
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〜 光の君へ 〜次回予告Movie

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2024年01月21日

紫式部日記へ反逆オマージュ、道長ひがみ評の為時が策士に.漢字知らん宣言まひろが漢字ゲーム炸裂

〜光の君へ 第3回「謎の男」〜

まひろ・紫式部父為時(岸谷五郎)が、左大臣源雅信の動きを知りたいという主兼家の希望に応えて、まひろをスパイがわりに、赤染衛門が主催する左大臣家でのサロンへ送り込む。


初回、前回と為時は友人である藤原宣孝・佐々木蔵之介、まひろ・紫式部の夫となる人だが、から、その融通の利かなさ、世渡り下手を揶揄われる場面があった。今回は豹変をみせて娘を情報収集のために左大臣家へ送り込むという策士を岸谷・為時は演じる。

為時についての融通の利かなさ、世渡り下手という評は、「紫式部日記」中に、紫式部が道長から責めらるエピソードとして、現代の私たちも知ることができる。

寛弘7年1010・正月2日、道長は宴をもつ。宴終了後には、一条天皇臨御の管弦会を予定した。いずれにも為時は招かれたが、管弦会がはじまるとそそくさと帰る。為時の退席に気づいた道長は〜など、御父の、御前の御遊びにめしつるに、さぶらはでいそぎまかでにける。ひがみたり」など、むつからせたまふ。「ゆるさるばかり歌ひとつ仕うまつれ。親のかはりに、初子の日なり、詠め詠め〜(管弦会にも招いておいたのに、そなたの父はそそくさと帰った、堅物である。父為時の無礼にかえて、一首献じよ。さあさあ)と、紫式部に歌作を迫る。



間者に仕立てられて左大臣家を訪れたまひろ・紫式部は赤染衛門・凰稀かなめが漢字の偏を示すのにこたえて、床に広げられた旁を記した紙片を拾うという「偏つぎ」で独り勝ちしてしまう。源倫子をはじめ、そこに集う女御たちを呆れる。

〜「男だに才がりぬる人は、いかにぞや。はなやかならずのみはべるめるよ」と、やうやう人の言ふも聞きとめて後、一といふ文字をだに書きわたしはべらず、いとてづつに、あさましくはべり〜と、紫式部日記はいう。

男でさえ、漢籍の知識を自慢するような者、 賢さをひけらかす者は愚かだと、誰かが言うのを聞いた。それからというもの、私は「一」という漢字すら人前では書きことはしない、勉学に縁がないものとしてふるまう、という。

「偏つぎ」もまた、為時の策士への豹変ともに紫式部日記を裏切る、反逆のオマージュだった。

左大臣家からもどったまひろ・紫式部に為時は、左大臣家での見聞を探る。まひろ・紫式部はスパイとして送り込まれたことに気づき、静かに怒りをあらわす。ラストシーンは、散楽の場での道長とまひろ・紫式部の再会。吉高由里子の奔放・大胆のようで繊細な演技がじんわり迫る、、、


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2024年01月17日

冬の海に舞う海幸・山幸末裔.志賀海神社歩射祭神事、胴結舞.勝馬詣.汐掻き/昼:那国御膳

令和6年1月13日(土)9:00
福岡市営渡船志賀島航路・志賀島待合所集合


9:00志賀海神社境内東汀「禊之瀬」を見下ろす防波堤入り口で、海の中道が、少なくとも磐井の時代まで遡り、御祖神イザナギ・イザナミ二神を祀る二神山とよばれたと推測される立花山と、志賀島に鎮座する、その御子神綿津見神を齋う志賀海神社とを結ぶ道であること。また、志賀島・海の中道・新宮・宗像沖へと開く海域は、イザナギ・イザナミ神話・禊神話を展開させる空間だと、ひとくさり、、、


禊之瀬の潮につかる左)射手と神職。
志賀海神社は元旦も、祭礼も、ここ禊之瀬からはじまる。胴結宿(社務所)に籠る射手八名は毎朝未明みそぎを繰り返す
翌、14日に祭行される「歩射祭」での弓・矢神授のための射手たちの通過儀礼・苦行が、この日、繰り返される

9:45志賀海神社境内へ、、


末社・今宮社と本殿に祭祀される綿津見神との関係が、香椎宮創建という、大和政権による神祭りの全国統制の完成を物語るなど、ひとくさり


遥拝所は真東にむく。毎朝・毎夕、神職は真東に神宮を遥拝。海の中道の根元も、また、真東にあたり立花山・二神山がそびえる。神職は意識するか、無意識か、志賀海社・綿津見神・御祖神イザナギ坐す頂を拝してもいる、とも、ひとくさり、、、

10:30「胴結舞」参道鳥居前で修祓。射手は交代で100キロの藁包を背負い、阿曇宮司邸前御旅所前と練り歩く。


動画2「胴結舞・御旅所前」
https://youtu.be/kbkt4oS84P4?si=2mdxsTMnsaoZkym_

12:00まさご屋さんで「那国御膳」


13:00「勝馬詣・ガラモ刈り・中津宮参り」
志賀海神社本社から、志賀島北岸の勝馬・舞能之浜へまわり、射手八人は、騎馬を組み対岸の沖津宮島の岩礁にわたる。海水に飛び込んではガラモという海藻を刈り、岩礁に戻るとガラモをかかげ「舞能の岸の姫松や」と発声しながら、定位置で一回転するという原初型の舞をまう。長の者の「ならぬ」の声に従い、新参の射手は3度ほどガラモ刈りを強いられる。神話学の泰斗・松前健氏は、神話の儀礼化、儀礼の神話化を指摘する。海幸山幸神話は、その一例であり、北部九州の海神族のあいだでおこなわれていた通過儀礼の神話化だという。ガラモ刈りを数、強制される所作は、弟・火遠理命・山幸比古が、失った釣り針を償うのに、自身の剣を鋳潰して百、千の釣り針を打つても兄・火照命・海幸比古は許さなかったという神話を象徴する儀礼だと考えられる。


ガラモ刈りを終えると、白装束を着け中津宮に。「舞能之浜の姫松よ」で舞を奉納



18:00「浜下り・御汐掻き」
日没とともに、翌日「歩射祭」で矢の世話をする矢取りの子どもたちと射手が揃い、渡船桟橋横の浜へ下りミソグと、御旅所前にもどり、今度はオケ樽に用意された真水で、またミソグ、、、





14日「歩射祭・弓射神事」
9:00 本殿神事「八乙女舞奉納」・今宮神事


「弓取式」射手と矢取りの子



いとうべんさし「天地和合して、東西南北悪魔を祓え」と呪す、、


走る矢取りの子


射手八人。三度三手・九射に一年の吉凶を賭けて立つ。射抜けば神威が昂まる、、


次回予告、、























  


Posted by Frco.Don at 15:56Comments(0)歴史遠足・講演報告

2024年01月16日

蔵之介・宣孝とまひろ、曽祖父・歌人兼輔、代書屋・夕顔の歌、高御座で女を抱く花山天皇

〜光の君へ 第2回「めぐりあい」〜

冒頭は女性の成人を祝う「裳着の儀」。佐々木蔵之介・藤原宣孝が、男性でいえば烏帽子親にあたる「腰結」の典礼をつとめる
テロップに永観二年984とながされると、「まひろが母をなくしてから六年の歳月が流れた。そしてこの夜、成人の儀式がおこなわれたのである」と、伊東敏恵アナのナレーション



まひろの年齢を8歳に設定した、母ちやは刺殺事件から6年。紫式部の生年は、天禄元年970年・天延元年973・天元元年978など諸説あるが、「光の君へ」主人公のまひろ式部は天禄元年970年説をとるらしい

『紫式部日記』寛文七年の消息文に、今以上に老いぼれて、「めつらにそ」視力が落ちて経典も読まなくなるとある。この愚痴がこぼされた時期を、老眼が進む40歳前後と仮定し、他に、藤原実資の日記『小右記』にあるその後の式部の記録などから比定された各説で、いずれも信用できない

「腰結」をつとめた蔵之介宣孝は、まひろ式部が少女の頃から岸谷五郎為時の友人として初回から登場した
歴史上の宣孝と為時の付き合いは、ドラマ上のまひろ式部「裳着儀」同年、本郷奏多・師貞親王が即位し、花山天皇となった永観二年984.10月以降のことだと考えられる。二人は花山天皇の下、同僚として秘書官・蔵人に着任する

長徳二年996、越前守に着任した為時とともに、まひろ式部が越前へ下ると、宣孝はまひろへ、数通の恋文を贈る(上野辰義「紫式部と藤原宣孝」)。長徳4年998頃、ふたりは結婚。長保3年1001.4月15日、紫式部と一子をのこし宣孝は疫病に罹患し死去する。式部と宣孝の結婚生活は3年足らずで終わる

自室の文机にむかうまひろ式部は、「人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」と口ずさみつつ、書き写す。『後撰和歌集』撰収の曽祖父藤原兼輔の歌。兼輔は、朱雀天皇下、従三位にのぼり権中納言をつとめた

男を声色して代書屋家業に励む、まひろ式部は、最初に代書した桜花の歌を女御から突き返されたと泣きついてきた、人のよさそうな職人に、今度は「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔」と詠じて渡す。三郎とまひろのあいだのその後を予見させる、もうひと悶着があり職人は恋を成就する




近くにより、大切に御覧ください。黄昏にぼんやり現れた夕顔の花を、と、詠うこの歌は、『源氏物語』四帖「夕顔」所収の、夕顔から贈られた「心あてに それかとぞ見る 白露の 光添へたる 夕顔の花」への光源氏からの返歌でした



扇子を足で操るりながら、母娘ともども遊んだと漢文指南役としてのぼる為時を揶揄う奏多師貞親王。この奇行譚は、親王が花山天皇となり後、出家するが、その後のことで、母娘と通じたうえ、その主人とも関係を結んだという。主人は、花山天皇の叔母にあたる人。別に大極殿高御座で女官と交るという話もつたわります

ただし、前者は『栄花物語』、後者は『江談抄』にあることで、花山天皇没100年後に著された資料中にある話。同時代史料の藤原実資『小右記』中にはみられない話

さて、奏多・花山天皇の話はともあれ、
『後撰和歌集』選定の曽祖父と、『源氏物語』へのオマージュが配された第2回でした。


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2024年01月15日

「初春令月、風和ぎ梅咲く旧暦元日」jrと渡船を乗り継ぎ.香椎・宇美・志賀海三社詣

天平二年正月、帥旅人邸での詠歌をまとめた、万葉集巻五・梅花宴三十首の詞書に「時に初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き」とあります。元号令和の出典でもありますが、ここにあるように正月は梅花開く頃でした。梅ほころぶ旧暦正月・元日2月10日にJRうみなか線と福岡市営渡船を乗り継いでの三社詣です。

令和6年2月10日(土)7:30 香椎宮楼門前
参加費 :¥3,500-(香椎宮〜志賀島移動費・1日保険)

問い合わせ・申し込み
Tel.080-3984-4299/mail: uminaka_yz@icloud.com



【当日予定】am0730香椎宮楼門前集合→徒歩→ 香椎宮0750着/境内散策/ 0830香椎宮発→(徒歩)→ 0857jr香椎神宮発→09:27宇美駅着→(徒歩)→09:50宇美八幡奥宮着→(徒歩)→ 10:20宇美八幡宮着/境内散策/11:10境内発→(徒歩)→ 11:35jr宇美駅発 →12:05香椎着 →乗り換え→12:09→12:29jr西戸崎着 →乗り換え→12:45渡船西戸崎発→13:00志賀島着 (志賀島参道にて各自食事→14:00「禊ノ瀬」→14:30志賀海神社参拝→15:00解散

主催:志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ
後援:福岡市


左)香椎宮・臥龍梅 右)宇美八幡宮・枝垂れ梅



  


Posted by Frco.Don at 20:02Comments(0)歴史遠足・講演予告編

2024年01月09日

紫式部日記・源氏物語へのオマージュ、逃げたカゴの鳥・国仲母刺殺、紫式部の実名と年齢

〜光の君へ 第1回「約束の月」〜

「光の君」制作統括内田ゆき氏は「源氏物語を描くことはありません」ときっぱり。一方、源氏物語ファンにも楽しめるようなオマージュが所々にちりばめられている「分かる方には分かるようなネタが、いっぱい出てきますよ」と、プレスに語る

少女の落井実結子・まひろ式部が逃したカゴの鳥を探しに野をさまようところに、三郎、のちの藤原道長と偶然出会う。これから、一年にわたり描かれる、まひろ式部と道長との物語が逃げた小鳥を介してはじまる。

カゴの鳥を逃す話は『源氏物語』第五帖 〜若紫〜に述べられる。

「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠ふせごのうちに籠めたりつるものを」とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、「例の、心なしの、かかるわざをして、さいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる。いとをかしう、やうやうなりつるものを。烏などもこそ見つくれ」とて、立ちて行く。髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母とこそ人言ふめるは、この子の後見うしろみなるべし
(小学館『新編 日本古典文学全集20・源氏物語(1)』「若紫」より)

母に生写であったという藤壺の姪,
、未だ少女の紫の上をはじめて垣根越しに垣間見る光源氏。紫の上は、お付きの童女・犬君が大切に飼っていた雀をカゴからのがしてしまったことを詰る最中。『源氏物語』中、ひときは可愛らしい、このエピソードが最初のオマージュとして描かれた


土佐光起筆『源氏物語画帖』より

母ちやは国仲涼子は、主人為時任官の願掛けにのぼった森の小祠からおりてきたところを、狂乱した道長二兄・道兼に刺殺される。この時、まひろ式部の年齢設定は8歳。史実上「藤原為信女」とのみ伝わり、実名不詳のちやはは、式部弟・惟規を出産後、日だちが悪く亡くなったと推測される



紫式部には、まひろという、愛くるしさと寛ぎを感じさせる名を、脚本の大石静氏は授けたけれど、父為時の官職名・式部尉と、『源氏物語』紫の上から「紫」をとり通称「紫式部」のみが伝わりやはり実名は不詳。多くの研究者は紫式部の実名は確認されないとするが、大阪市立大学教授、平安博物館館長などを歴任した故角田文衞氏は「香子」が実名だと主張されます

幼いまひろ式部が、高貴な家の娘なのよ、と、三郎相手に意地を張る表情が愛をしい、、



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〜 光の君へ 〜次回予告Movie

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2024年01月08日

紫式部・吉高由里子日記・目次リンク

『大鏡」中の花山天皇出家と安倍晴明/実資日記『小右記」中の義懐への文句
〜 光る君へ 九夜「遠くの国」〜


道長、倫子婿入り問題/仇を前に琵琶、、、
〜 光る君へ 八夜「 招かれざる者」〜


花山天皇・忯子と桐壺帝・桐壺/雨夜の品定め的布石/兼家の怒りをたたえた笑い、、
〜光の君へ 七夜「 おかしきことこそ」〜


女でも役に立つ平安社会・道長「望月の歌」への暗喩・式部日記から元輔セリフ・伊勢物語・万葉集から
〜光の君へ 六夜「ふたりの才女」〜


月と式部/道長の筆跡・乗馬/官位etc
〜光の君へ 五夜「告白」〜


道兼・花山天皇『源氏物語』筑紫の五節舞
〜光の君へ 四夜「五節の舞姫」〜


紫式部日記へ反逆オマージュ、道長ひがみ評の為時が策士に.漢字知らん宣言まひろが漢字ゲーム炸裂
〜光の君へ 三夜「謎の男」〜


蔵之介・宣孝とまひろ、曽祖父・歌人兼輔、代書屋・夕顔の歌、高御座で女を抱く花山天皇
〜光の君へ 二夜「めぐりあい」〜


紫式部日記・源氏物語へのオマージュ、逃げたカゴの鳥・国仲母刺殺、紫式部の実名と年齢
〜光の君へ 一夜「約束の月」〜





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