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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2024年04月15日

涙を流した宮仕・清少納言/初めて個を物語した道綱母・寧子

〜 光る君へ 十五夜「おごれる者たち」〜



この夜の見せ場は、なにを措いても、桔梗納言と高畑充希・中宮定子の出会い。そして、石山寺での『蜻蛉日記』著者・藤原道綱母、財前寧子とまひろ式部との出会いでせう、、

清少納言の初めての出仕は、正暦四年993だといいます
桔梗納言は、充希定子の挙措に、視線を吸い込まれてしまうのですが、『枕草子』の清少納言は、女房として宮仕のはじまりは、涙をもようすほどに失敗ばかりだったと述懐します、、、

ーーー『枕草子』一八四段
宮にはじめてまゐりたるころ、物のはづかしき事の数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々まゐりて、三尺の御几帳(みきちやう)のうしろに候ふに、絵など取り出でて見せさせたまふを、手にてもえさし出づまじうわりなし。

(中宮御所に初めて出仕したころ、何もかも恥ずかしいことだらけで、涙を流す思いだった。毎夜参上して、三尺のついたての後ろに控えていたところ、中宮
様が絵などを取り出してお見せくださるのを、それに私は手さえも差し出すことが出来そうもない状態でどうしようもなくつらい。)

いと冷たき頃なれば、差し出させ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは限りなくめでたしと、見知らぬ里人の心地には、かかる人こそ世におはしましけれと、驚ろかかるまでぞ守りまゐらする

(それは、寒い頃で袖からわずかに差し出された指先が、それはつややかで薄紅梅色をさしていた。宮中を知らない者などにいわせれば、このようなお人がこの世においでなのかという思いをさせられるでせう)

道綱母・寧子と紫式部の出会いがあったかといえば、なかったのでは?と、諸資料からは考えられます。紫式部は、和泉式部、清少納言、赤染衛門については、その日記に批評としての文字を残していますが、寧子については皆無です。『源氏物語』の着想を石山寺でと云う話も伝説の域を出ません。式部が藤原宣孝と結ばれることについては、これまでもふれてきました。式部、26歳前後、正暦元年990の頃。宣孝は40歳を超えた年齢で、当時の常識でいえば初老の域です。ふたりの暮らしは、わずか2年、長保3年1001に宣孝が死没することで終わりをむかえます。年の離れた伴侶、宣孝の死こそが『源氏物語』執筆の契機だといいます

和泉式部については、中身がないのに気取った歌をつくる。清少納言については出しゃばり、浅薄。一方、赤染衛門については「まことにゆへゆへしく」と、深みのある歌人だと、式部は評しています。

道綱母・寧子については、なにも語らない式部ですが、それまでの文学が『竹取物語』をはじめ、いずれもフィクションであったところに、日記文学を女流ではじめてなした人でした。女性ではじめて、『蜻蛉日記』を著し、個を語ったということです。身分、恋愛、女として懊悩の最中にあるまひろ式部。、女としての個を語る先達、財前寧子との観音信仰の寺、石山寺での邂逅。それは願ってもない機会でした、、、

記事内のリンクに不具合がある場合には、ご一報いただけるとしあわせです。
tahi_qz@ybb.ne.jp

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2024年04月08日

【明子の呪詛/兼家と怪異】/【兼家の派手な衣装と金峯山参りと『枕草子』】

〜 光る君へ 十四夜「星落ちてなお」〜


【明子の呪詛/兼家と怪異】
藤原兼家居宅・東二条院(中京区要法寺前町寺町通・二条京極邸跡)は物の怪が祟ると噂の
地。兼家が老齢もあり病がちになると、人々は移居を勧めますが、「東山などのいとほど近く見ゆるが、山里とおぼえて、をかしきなり(東山が近く、山里の趣がよい)」と、お気に入りの地であること、また、怪異を信じない人であったことから承知しませんでした

『大鏡』兼家伝に以下あります

月のあかき夜は、下格子もせで、ながめさせたまひけるに、目にも見えぬものの、はらはらとまゐりわたしければ、さぶらふ人々は怖ちさわげど、殿は、つゆ、おどろかせたまはで、御枕なる太刀をひき抜かせたまひて、「月見るとてあげたる格子おろすは、何者のするぞ。 いと便なし。もとのやうに、あげわたせ」

ーー 御簾をあげさせて月を楽しむあるよ夜。怪異が御簾を下ろすいたずらを仕掛けた。人々は恐れるが、兼家は太刀をぬくと「月を観ようと上げる御簾を下ろすものは誰か、もどせ」と、逆切した、と、、

しかし、今夜、瀧内公美・明子による兼家所用の扇子を形代にした呪詛により、兼家は落命したワケです。段田兼家は、明子が仕掛けた怪異に負けたということでした



【兼家の派手な衣装と金峯山参りと『枕草子』】
『枕草子』あはれなるものの段に、紫式部の夫になる人、藤原宣孝についてふれる部分があります。神前は質素な出立でというが「神様は質素な装いで詣でよとはおっしゃっていない」と、宣孝は、濃い紫の袴に白い狩衣、山吹の包衣。子の隆光には、青色の狩衣、紅の衣、乱れ模様をすりだす袴を着させて、吉野金峯山へ参詣。すると、筑前国守への官途がなったそうで。

今夜、宣孝は筑前国守として下向するむねを、まひろ式部一家は報告するわけです。その際に「御嶽詣が効いた」と軽口をつげる宣孝。『枕草子』宣孝レポートへの小さなオマージュでした

清少納言と紫式部。納言は、式部の夫宣孝の金峯山参りを『枕草子』で揶揄う。式部は、納言を名指しで『式部日記』中に辛辣に裁いています。しかし、まひろと桔梗は良き友人らしき設定。

そして、一つ気にかかるのは、下向した筑前から宣孝は式部に仮想文を送ることです。式部は日記に記録していますが、これまで良き親戚、良き伯父として岸谷為時、まひろ式部との付き合い、関係をみせていた佐々木宣孝が、どのような契機をむかえて、まひろを伴侶としてみることになるのでせう、その事です、、、


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2024年04月05日

定子、一条天皇に入内を面白くなかって道長/この漢詩の筆跡はだれ?と聴く倫子、、、

〜 光る君へ 十三夜「進むべき道」〜

道隆の子・定子が一条天皇に入内。兼家の孫どうし。道隆の子、妹東三条院・詮子の子、つまり従兄弟どうしの婚儀による、天皇・中宮(皇后)ということです。道長には甥であり姪

『栄花物語』によると、道長は姪の立后について面白くおもっていなかったといいます。その頃、兼家が重篤な状態にありました。これをはばかることなく進められたことに反発していたようです。権中納言と同時に中宮太夫という、中宮の世話役を勤めていましたが、その職分を果たすことがなかったといいます

この夜、緊張が最高点に達した場面は、倫子が道長の文箱から見つけた陶淵明の漢詩「帰去来辞」を綴る手紙をまひろにみせるところでせう。

倫子は、筆跡が女のものだ。道長様にとってどのような人だろう?と、まひろにこぼすように言います。漢詩は男が嗜むものであり、女の立場で通じる者はごくわずか。倫子は口にさえしませんが、まひろが漢詩につうじていることは、これまでの回で描かれた赤染衛門を中心に、繰り返された女御の会でわかっている前提です。言外にまさかあなた?と聞いているようで、、、

『源氏物語』には玉鬘にいいよる男の文を、光源氏が寸評するという展開があります、、、

さて、来週は巨星兼家がいよいよのやうで、、、、










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2024年04月05日

懸想文なく女御を尋ねる柄本道長。日記中に逢瀬の野暮を記される父兼家

〜 光る君へ 十二夜「思いの果て」〜

柄本佑道長との婚礼が成らなければ、猫を愛でて生涯を終えますと、父益岡徹.源雅信にかこつ黒木華倫子には笑いました

まひろへの想いを断ち切ろうと、そんな倫子の元を前触れなく柄本道長は尋ねるわけです。礼を失した訪れに倫子の母石野真子.穆子は通すことを家従に命じます。道長婿取りについては、気乗りがしない雅信を穆子が口説くことで実現したと、『大鏡』にあることをこれまでも紹介してきました。これを反映しての穆子の判断ということでせう

文、懸想文のやりとりもなく訪れるというほどの、乱暴・無茶な所業とはいえませんが、当時の常識からするとハテナと思わせる行動を道長の父、兼家がおこなったことを『蜻蛉日記』中にその妾、財前直美さん演じる道綱母・寧子が記します

『蜻蛉日記』は兼家との生活を中心に描かれた、最古の女流日記。その冒頭近くに、絶世の美女だとウワサの寧子への兼家の懸想が記されます。寧子の父が乗り気でなく話が進まないなか、兼家は僧兵による強訴さながらに寧子への文を従者に届けさせます

〔更級日記・原文〕
 それはそれとしてかしはぎの木高きわたり〈藤原兼家〉よりかくいはせむと思ふ事ありけり。例の人はあないする便もしはなま女などしていはする事こそあ
 れ。此は親〈藤原倫寧〉とおぼしき人にたはぶれにもまめやかにもほのめかしゝに、ひけきことし〈びなきことゝイ〉いひつぎをも知らずかほに、馬にはひ
 乘りたる人して打ちたゝかす。たれなどいはするはおぼつかなからず騷いたれば、もて煩ひ取り入れてもて騷ぐ

〔更級日記・現代語訳〕
 兼家から求婚のお気持ちを伝えられた。常識的な人であれば、相応の人に頼んだり、邸の女房を間に立てて、取り次がせるものだが、兼家は、わたしの父
(藤原倫寧・正四位下、伊勢守、いわゆる頭領階級)に直接、冗談なのか本気なのかほめかした。父 が「恐れ多い、釣り合いが取れない」 と言うのも知らぬ
 顔で、馬に乗った使者を寄こして門をたたかせた

超訳すれば、懸想文などというものは、しかるべき人や自身の女房に持たせるのが常識だが、兼家はこともあろうか騎乗の従者に届けさせるというなんとも野暮なことをやった。その上、当の従者は遠慮もなく、わが家の玄関をうるさく叩いた、、、

と、、。柄本道長の倫子との逢瀬は常識破りだとはいえ、美しい映像にまとめられました。一方、史実上の道長父・兼家は、その野暮な所業を日記に記されて1200年が経た現代にさらされているのでした、、、、



倫子の愛猫・小麻呂

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2024年03月17日

出家後も女御を漁る花山天皇・一条天皇に除目を抗議、撤回を実現する為時

〜 光る君へ 十一夜「まどう心」〜

前回の兼道に騙されての出家、そして廃位という悲劇に引き続き、今夜は、新帝、一条天皇即位を呪詛する先帝・花山天皇の壮絶な姿が描かれるわけです
それは、もう、ドラマ中の花山は哀れなわけです。が、果たしてそうだったのだろうかという話が伝わります



長徳二年995一月十六日。長徳の変とよばれる事件について『小右記』で藤原実資が報告します。花山出家9年後のことです
今夜、兼家と長男道隆一家との宴に、招かれなかった道兼が怒鳴り込むという場面がありました。そこで道隆の長男伊周が安倍晴明に一言かけていました
この伊周と弟隆家とが、いまや法皇である花山院の車を襲い、院の袖を射抜いてしまいます

藤原伊周は故太政大臣藤原為光の娘三の君の元に通っていましたが、その妹四の君藤原儼子の元に花山院が通っていました。姉妹ふたりは花山院が溺愛し、出家の原因にもなった故藤原忯子の妹でした。そうした関係のなか、伊周は花山院が妻問のは、自分が通う三の宮と勘違いして事件を起こしたのでした

出家し院と呼ばれるようになっても、花山は妻問をつづけていたということを報告してくれる事件です

第二夜で扇子を足で操るりながら、母娘ともども抱いてやったと、伺候する為時を揶揄うように花山が言うシーンがありました。この母娘ともども遊んだという話は出家後のこととして『大鏡』に記されています。

花山出家後の女性との話として、その母娘の主人の女御とも戯れた。大極殿高御座で女官と交ったというとんでもない話も伝わります。花山は出家後も何臆することなく妻問をつづけていたのでした。そんな素行の人が果たして悲劇の人といえる?と、そう思うわけです。花山は帝位を追われて却って幸せだあつたのでは?とさへ思うわけです



また今夜は、無職になった為時に職を求めてまひろが摂政になった兼家を訪ねるシーンがありました。なかなか、冷酷なシーンでした
紫式部が父のために猟官に動くというのは史実として考えられませんが、為時自信が除目に不服で抗議するということが『古事談』にあります

同年正月二十五日の除目で為時は淡路守に任命されます。当時、国々は大国・上国・中国・下国と四段階で評価されていました。そして淡路は下国。淡路守叙任を聞いた為時は「苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼」(懸命に勉学に励んだ報われない、血の涙が襟をぬらす、もし、除目が改められば「蒼天」・一条天皇一層忠勤を誓う)と漢詩を一条天皇に贈ります。

天皇は、その詩の内容にほだされて、為時への除目を撤回、為時を上国越前の守に叙任するのです、、、、



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2024年03月10日

望月の歌の現代的解釈への伏線?花山天皇出家を予測できずメンツを潰される『大鏡』中の安倍晴明

〜 光る君へ 十夜「月夜の陰謀」〜

この夜は柄本道長とまひろ式部との恋愛と、いわゆる「寛和の乱」と称される花山天皇を騙しての出家・退位「せめおろし」が描かれます
それにしても、月の夜の、どこかあばら屋での道長とまひろの逢瀬のシーンは美と官能が入り混じり迫ってくるのです

「海の見える、どこか遠い国へ、今日、今から二人でいこう。ふたりで暮らそう」という道長にまひろは「アナタには下々の民がまっとうに暮らすことができる国をつくる使命がある。アナタはそのために生を受けたのよ」と聡し拒絶



知られた道長による「望月の」云々の歌は道長自身の栄華を自画自賛するものではなく、望月の欠けることがないような、人々に豊さと安心をとどける私の治世が続くように、という気持ちを歌うのだという、現代風の解釈があります

満月の夜に、ようするに駆け落ちしようという道長に対して、道長に与えられた仕事、運命を式部が説くというのは、望月の歌の現代的解釈への着地を目指すための伏線かな、などと意地悪にみるのでした

紫式部日記中に読み取れる道長と式部の関係は、あくまで主人と仕える女房の姿ですから、官能美で描かれる二人には幾分違和感を催すのですが。しかし、そこはまあ、物語ですし、、、




さて、「光る君へ」での「寛和の乱」は、段田兼家の諮問に応えて、サンタマリア晴明が宿星を占い決行されました
一方、『大鏡』花山紀には、この事件の発生を予測できずメンツを潰された晴明の姿が描かれます

道兼に導かれた花山天皇は牛車で清涼殿を抜け出し、落髪する山科元慶寺へとむかいます。その際晴明邸の前を通るのですが、晴明は「帝おりさせ給ふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな」と慌てます。退位の兆しの天変に気付いてはいたが、既に事はなったのかしくじったというわけです

それで慌てて「参りて奏せむ。車に装束疾うせよ」、宮中に報告に発つぞ、はよう牛車を用意せよと晴明は花山天皇の車を見送りながら家人に命じるのです

これはつまり、天変の予兆を報告するという職掌を怠ってしまい、または、予兆の感知を誤ったということであり、当代随一とされた陰陽師・安倍晴明の顔がまるっと潰されたと、『大鏡』は伝えるわけです

さて、来週はいよいよ、まひる式部と父為時の「海の見える国」への旅立ちとなるのでせうか、、、



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2024年03月03日

『大鏡」中の花山天皇出家と安倍晴明/実資日記『小右記」中の義懐への文句

〜 光る君へ 九夜「遠くの国」〜



オープニング。先週放映された散楽一座が、盗賊を働こうと忍び込んだ東三条殿で捕らえられたシーンが再び。
家人たちへ「検非違使へ連れていけ」と、その後の処理を命ずる道長の姿に、バッハ無伴奏チェロ組曲が、



道長が現れる重要なシーンには流されるな、と。鳥野辺で遺体に変わった散楽一座をまひろとふたり、素手で埋葬する場面でも、深く重いバッハ無伴奏チェロ組曲が。チェロの音域はどの楽器よりも人の発声の域に近いそうで、、

チェロに限らず、バイオリンやビオラも使用されて、、。人の心の律動を拾うのには、くみとるのには、弦楽器が他の楽器にくらべて優れているそうで。魔物の存在がその精神空間に占める、平安朝の人々の心理を拾うのには、弦楽器以上のものはないなと思うわけです

で、ドラマは花山天皇出家への誘導、そして退位へと話が進んでいきます。そもそも、兼家外孫・懐仁親王が東宮としてあるという状況では、花山天皇は即位と同時に退位を迫られる巡り合わせにあったのです、

花山天皇が即位すると同時に、早々に退位に追い込むことが兼家にとっての課題でした。

花山天皇退位への筋書きはサンタマリア晴明。



複数ある花山天皇退位事件「安和の変」についてふれる史書中、晴明の関わりについてふれるのは、唯一『大鏡』です
『大鏡』によると、花山天皇が出家を果たそうと元慶寺にむかう途中、安倍晴明邸の前を通ります。その際、先を急ぐ花山天皇の姿を認めた晴明が
「もう、ことは決まっている」と口にしたというだけの話。兼家と晴明の謀議は、「光る君へ」のオリジナルストーリーです

花山天皇出家前年、寛和元年985秋に、北極星へ接近する星が激しく輝いたという天変を晴明は観測。花山天皇の慎みにかける態度が引き起こした凶事だと奏上。兼家とのあいだに画策、謀議を巡らすとは、史書上には描かれてはいませんが、花山天皇退位への予兆を観測していました、、、

そして、ロバート実資。義懐の出世を愚痴る実資に、奥様が「日記にお書きなさい」と。実資は、「書かぬかかぬ」と実資は不機嫌に返事
実は実資の日記「小右記」には、義懐らの花山天皇側近抜擢について「奇々怪々」と腐しています



チェロをはじめとした弦楽器の音色に、まひろ式部の表情は沈む。通奏低音が重い45分間を奏でた今夜でした、、、、

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2024年02月25日

道長、倫子婿入り問題/仇を前に琵琶、、、

〜 光る君へ 第8回「 招かれざる者」〜

さて、道長、倫子婿入り問題です。

何回前でした、すでに触れましたが、今回描かれているように、道長姉・東三条院詮子、そして倫子の母・繆子がふたりを結ぶことに積極的で、倫子父・源雅信は反対であったという構図は、道長、倫子婿入り問題についての古くからの物語です

ただし、その発端は、花山天皇側近、権中納言に昇進した藤原義懐の専横を牽制する目的で、左大臣・源雅信との連携を強くするべく、ひいては雅信にその娘倫子への道長の婿入りを求めた段田兼家だという設定では話が、ちと、違うのです

『栄花物語』によると、、

兼家は、道長が未だ三位中将であることから「位などまだいと浅きが、かたはらいたき事」と、左大臣家の倫子の婿に道長を出すことに躊躇があったようで

一方、雅信は道長のことを「口わき黄ばみたる主」つまり、クチバシ黄色い未熟者だと。「あなもの狂をし」、ばかばかしとまで言っています。雅信は人として道長を嫌ったようです、、

一方、雅信奥様の繆子は、道長は買い!、だと「この君、ただならず見ゆる君なり」・「われに任せたまへれかし」と、ふたりの結婚を「ただ急がせ給う」たそう。それで止むなく雅信も了解したのだといいます

道長姉・東三条院詮子は、倫子とのあいだだけではなく、第二夫人・源明子との縁もたぐりよせます
倫子は宇多天皇曽孫、明子は醍醐天皇孫。道長と詮子姉弟は、一族ごとを天皇外戚に高めたのです、、、

で、ふたりの馴れ初めについては「この三位殿、この姫君をいかでと心深う思ひきこえ給ひて」とあり。道長が倫子を見染めたという、第八夜、今回の「光る君へ」とは逆の恋の形を伝えます、、、

まひろ式部と柄本道長の恋の行方を「光る君へ」は通奏低音として奏でます。道長が倫子へ首ったけでは物語が破綻しますから、ね、、

はて、

柄本道長には、本人の意思とは別に婚礼の話が進むなか、まひろ式部は、仇を前に琵琶をかき鳴らすのです。それでなくても重い音をだす琵琶。道兼 を前にまひろ式部が奏でる音は、重さに闇、そして悲しみの溝をくわえたものでした、、、、、

次回は、遠い国へ、、、。
まひろと岸谷為時には、海が見える国、遠くの国への旅が待つのですが、、、




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2024年02月19日

花山天皇・忯子と桐壺帝・桐壺/雨夜の品定め的布石/兼家の怒りをたたえた笑い、、

〜 光の君へ 第7回「 おかしきことこそ」〜

花山天皇中宮・忯子薨去ではじまる今回。寛和元年985.七月一八日。忯子は、寵愛をうけた花山天皇を遺して世を去ります。事実としてあった、二人の関係は『源氏物語』第一帖〜桐壺〜に描かれる、桐壺帝と光源氏の母・桐壺更衣との物語のモデルといわれます


桐壺。その名は、後宮中、最も身分が低い女御に与えられる桐壺を与えられたところからでした。桐壺帝からの寵愛は、当然のように皇后の立場にある弘徽殿女御ほか、他の女御たちからの嫉みをうけ、心労から早世します。忯子は、宿した子と共に逝去。桐壺は、光源氏を産み三年後の逝去。この点が異なります。もっとも、桐壺とともに光源氏が死んでしまうようでは、『源氏物語』は成立しなくなるわけで、、、


奇行と忯子との恋愛で知られる花山天皇ですが、史実としてあることは、側近・藤原義懐を重用しての荘園整理令への取組です。天武天皇以来200年、公地公民の制による中央集権的土地制度が崩壊しつつあることへの楔。醍醐天皇の延喜二年902年に最初の荘園整理令が出されますが、徹底をはかることができませんでした。第5回「告白」では、花山天皇が強行する荘園整理令に対し、右大臣・段田兼家、左大臣・益岡雅信、関白・橋爪頼忠の三者が「われらが標的」と、口をそろえて言う場面がありましたが、臣下に不平を誘うほどの仕事をした花山天皇です

さて、打球が終わると、雨の中、倫子のペットの猫が飛び出すのを追いまひろ式部は、道長らが更衣に入った控えの壁越しで話を聞くことになります。雨、そして男たちの女性観の披瀝。これは、三歳で母桐壺と死に分かれた光源氏も十七歳。五月雨の夜、頭中将らと女性を品評。俗に「雨夜の品定め」といわれる第二帖〜帚木〜にある話へのオマージュ

まひろ式部は、「出世のために身分の高い家の女を正妻におき、毎夜、気に入った女の元に通うことだ」という、男たちのあいだに交わされた品評の結論に、嫌悪すか、失望か、それとも、自身の身のほど知らずといえる柄本道長への思いを断ち切る思いからか、道長からの贈歌「ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし 恋しき人のみまく欲しさに」を焼きます

男たちの、いわば女御定めを壁をへだててまひろ式部が聞くことになる、このシーンには不思議な感響を覚えるのです。まひろ式部、吉高由里子のやるせない表情に引き込まれる一方、男たちの会話の原典「雨夜の品定め」を書いたのは当の本人が困惑顔でいる、と、いうような、、

まひろ式部の『源氏物語』著述への布石となるシーンなのかもしれません、




岸谷為時が心が痛みますと、花山天皇とのあいだの間者役を外していただきたと懇願した時の段田兼家の冷たい笑い。「そうか、それは苦しいことであった。よかろう。悪かった」と、口にしながらの目の動き。笑みの奥の怒り。役者・段田安則の底の深さに怯えるのです、、

一方、矢部太郎乙丸は、兼家家家人に襲われるなか、逃げ足早く逃れるまひろ式部においていかれて気絶。その後「置いていくなんてヒドイ!」と愚痴るという、愛されキャラ


さて、来週は、その段田兼家が倒れ、まひろ式部は仇・玉置道兼を前に琵琶を奏すようで、、、

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2024年02月12日

女こそ重要、平安社会/道長「望月の歌」への暗喩/式部日記から元輔セリフ・伊勢物語・万葉集から

〜光の君へ 第6回「 ふたりの才女」〜

冒頭、水鏡に映る道長の顔に見入る、まひろ式部。
『源氏物語』には、政敵、右大臣六女、東宮時代の朱雀帝の寵愛を受けた「朧月夜」との恋愛が原因で、須磨へ流されるごとく隠退を余儀なくされた源氏へ、妻の紫の上が贈る歌があります、、


 
別れても 影だに止まる ものならば 鏡を見ても慰めてまし
(たとえお別れしても、あなたの影がとどめる鏡をのぞき、お会いできない寂しさを慰めます)

為時が「そなたが男であれば」と嘆き、「女でも役に立つことが」と、まひろが答えます。倫子のサロンへ通うことを続ける意思を
まひろが明らかにする場面

女として女房・紫式部が重要な役割を担っていたことは、藤原実資が日記『小右記』長和二年五月二十五日 条に伝えています

資平を去んぬる夜密々皇太后に参らしむ。東宮 御悩みの間、仮により不参の由を啓せしむ。今朝帰り 来たりて云わく、去んぬる夜、女房に相逢う(越後守 為時の女。此の女を以て前々雑事を啓せしむるのみ)。 彼の女云わく、東宮の御悩み重きにあらずと雖も、猶 御尋常ならざる内、熱気いまだ散じたまわず。亦左府(道長)聊か患いの気あり、てへり」

こうして、実資は越後守為時の女である女房つまり、紫式部を通じて、皇太后(一条天皇母・彰子)に雑事を申し上げていたこと、左府・道長についての情報を得ていたこと、を、記録しています

兼家が、唐突に道長に対して源倫子の婿になれと進めます。この時代、結婚は嫁取り婚ではなく、婿取り婚が一般的でした。道長が倫子と結ばれたのは事実です.その仲人役について「光の君へ」は、兼家を設定するわけですが、道長姉詮子・東三条院だといわれています


倫子父・左大臣源雅信は、道長を婿にとることに反対だったようですが、母・穆子は道長の才を見抜き倫子が道長と結ばれることを強く願ったと『栄花物語』は述べます

隆家邸で催された漢詩会では、藤原公任作について、まひろ式部と今回が初登場となる桔梗納言の評が示されます


「白楽天のような歌いぶりでございました」とまひろ。「むしろ、白楽天の無二の親友だった元微之のような闊達な歌いぶり」と桔梗納言。ここでふたりが名をあげた唐の詩人・白楽天と元微之については、『小右記』に実資が記録して、今に伝わる道長の「望月の」云々の歌との関わりが暗喩としてあるやうな、、、。白楽天、元微之の名をだしての、ふたりの評に隠される喩えについての答は、これから触れられることもあるかもしれません

父・清原元輔が桔梗納言にたいして、「出しゃばるな」的なことを言います。
これは、『紫式部日記』に

清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ

清少納言は得意に漢字を使うが、漢文の知識は未熟。勘違いで「自分は人と違うん」と思い込んでいるだけで見劣りする。ひとときの間ちやほやされても、そのうちにおわる

と、式部が書く清少納言への評価を、かわりに元輔に言わせています

漢詩会での、はからずもの久しぶりの再会に道長がまひろ式部へ贈った歌は、

ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし 恋しき人のみまく欲しさに

『伊勢物語』
ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 大宮人の 見まくほしさに
(神が敷く結界も破り、都人であるあなたに会いたい)
『万葉集』
ちはやぶる 神の斎垣も越えぬべし 今はわが名は 惜しけくも無し
(神が敷く結界も破り、あなたに会おう。わたしの名などどれほどのものか)

からの元歌取り。ドラマオリジナルの歌作のようです

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2024年02月05日

月と式部/道長の筆跡・乗馬/官位etc

〜光の君へ 第5回「告白」〜

月の夜、三郎道長とまひろ式部が再会するのは、満月照る森深い社殿の一角のような場

『源氏物語』〜五十四帖 夕顔〜に身分を隠しての、夕顔という女性との光源氏の逢瀬が描かれます
「八月十五夜、隈なき月影、隙多かる板屋」での逢瀬で、源氏の夢にもののけがあらわれると、夕顔は、はかなく息を絶やすのです、、

出会って以来、身分を隠してきた二人が、それぞれ右大臣・兼家三男道長、従七位下(前後の設定か?)散位・為時娘と、改めて確認する場も満月の夜が用意されたワケです。月光が足元を照らすなか、心に思う三郎道長の兄が母を殺した道兼であった事への戸惑い、悔しさ、与えられた運命の残酷さにまひろ式部が嗚咽する姿には、はからずも落涙を誘われるのです



史実上の式部母の死は、式部の弟が生まれて間もなくとされています。産後の日だちによる落命のようです。史実とは異なる設定で描かれていると知りながらも、涙を誘われるとは、物語、フィクションの力を改めて知るのです

道長は、まひろ式部へ、満月の夜、訪ねると書をよこします。堂々とした筆跡で復元された道長書状がアップで登場しました。
道長は、世界最古の直筆日記『御堂関白記』を伝えます。陽明文庫蔵・国宝。たしかに堂々とした筆跡

道兼によるまひろの母殺しを知り、まひろをその場に残して邸へと騎乗で戻る際の姿は様になっていました。柄本佑は相当、乗馬をやっているなと思うわけです

陽明文庫蔵「御堂関白記」

ところで、ここ、あそこと、今日は位階について語られるシーンが、いくつかありました、
朝廷のどの職「官職」につけるかは身分「位階」次第です

太政大臣「正一位」「従一位」。左大臣「正二位」、右大臣「従二位」、大納言「正三位」、中納言「従三位」。これら「正一位」から「従三位」までがいわゆる「公卿」。上流貴族です

「正四位上」「正四位下」「従四位上」「従四位下」「正五位上」「正五位下」「従五位上」「従五位下」。こちら、中流貴族、「昇殿人」とよばれ内裏清涼殿南廂・殿上の間への昇殿を許された人々。時代が降り、承徳2年1098、天承2年1132になると、源義家、平忠盛とが、それぞれ従位四位下、従位四位上を与えられて、武士、軍事貴族として初めて昇殿人に数えられます

そして、六位以下が「下級貴族」。前回まひろが、「同じ藤原でも下のした、気にしないで」と、まだ三郎として知る道長へ、かきくどくように言うシーンがありました。まひろ式部父・為時は、式部が宮仕に初めて出る頃には、従七位下、または従八位上が勤める、蔵人職、播磨国の権少掾などを歴任していました。こののち冷泉帝の引き立により従五位下に叙されて越後国守に任官します

下のしたと申しましても、それは貴族社会の中だけをみてのことで、当時500万の人口があったと推測されますが、うち貴族階級は150人から200人。全人口からみれば、まひろ式部の家族は上位0.3%にふくまれる、選ばれた上流階級のうちわにある人々なのでした

来週の予告編にはファーストサマーウイカ・清少納言の顔がちらり



紫式部日記に

少納言は、得意げな顔で、文章中に漢字をひけらかす。でも、実際の漢文の知識はというと疑わしい。まして、自意識過剰。必ず、まわりからみくびられる。調子いいのも今だけ。ちょっと見の感性を引き回すだけで、内容を感じない。それで、どうなのだと端から観察するのだけれど、、

と、清少納言評。来週からは、お互いの関係が描かれる、、、

『紫式部日記』清少納言評部分原文
清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。

おまけ:財前直見演じる、兼家側室・藤原寧子が登場。この人は、兼家の浮気癖を「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る」と歌い、百人一首に選収される歌人でもあります。浮気を嘆いて、現代に至るまで観賞にさらされるというの、も、だうなのだらう?歌だけにおさまらず、彼女は 『蜻蛉日記』に、兼家との生活を不遇であった、と綴ります。なお、『蜻蛉日記』は女性初の日記文学、、、

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2024年01月28日

道兼・花山天皇『源氏物語』筑紫の五節舞

〜光の君へ 第4回「五節の舞姫」〜


「五節の舞」に立つまひろ・紫式部が、段田安則・兼家以下、藤原北家九条流父子が居並ぶなかに、忘れもしない母の命を奪った玉置玲央・藤原道兼がいることに気づく第4夜

『源氏物語』「少女(をとめ)」の巻には筑紫の五節の舞姫を光源氏が懐かしみ贈答歌を贈る場面があります
五節の舞は十一月に行われる新嘗祭と大嘗祭の豊明節会に舞われる舞

舞姫たちは、中丑日に内裏の常寧殿に設営された五節所に夜になり参入。参入の儀と舞姫たちの予行演習である帳台試、天皇の前で行う御前試、天皇や上層貴族が舞姫に付き従った童女を見る童女御覧、等々の儀式がおこなわれます

大嘗祭でも舞われるという事ですから、今上陛下の即位・令和の大嘗祭の際にも舞われたのでした

凰稀かなめ・赤染衛門、黒木華・源倫子らと、「竹取物語」について語り合う場面でまひろ紫式部は、「かぐや姫の考えはまことにさっそうとしている」と云う主旨を述べます
紫式部は、『竹取物語』を物語の先例として敬愛していました。『源氏物語』には、そのことを物語る記述が随所に散りばめられてあります

「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」や
「かくや姫を見つけたりけん竹取の翁よりもめづらしき心地するに」 と、正体のわからない相手や物事がまるでかぐや姫または竹取物語のようだと、幻想的な比喩として、、

さらに続いて「いかなるもののひまに消え失せんとすらむと、静心(しずこころ)なくぞ思しける」




前回、坂東巳之助・円融天皇の食事に毒をもることを、父兼家から命じら実行する道兼。道兼のこうしたダークな横顔は、本郷奏多・花山天皇を騙して退位させた寛和の変(寛和二年986.6月22日)の実行者であった史実を裏づけに描かれたかと考えられます

寛和の変は、吉田羊・詮子の子懐仁親王を皇位につけ、天皇外祖父の位置に立とうと謀る父兼家が主謀したものでした。寵愛する井上咲楽・藤原忯子の死により大きく気を落とす花山天皇。道兼は、出家し仏門に入れば忯子とも会えると唆し退位を成功させます




兼家が病をえ関白を辞すにあたり、花山退位を実現し、懐仁を塩野瑛久・一条天皇として即位させた功労者として、自身の関白叙任を道兼は期待するものの、長兄・道隆にその地位を奪われ(永祚二年990.5月8日)ます。兼家はその後死去

長徳元年995.3月9日、病を得た道隆が嫡子伊周を関白の位に着けようと奏上するが許されず、はかなく4月10日に死去。享年43
道隆の死をうけて道兼は待望の関白に就任しますが、5月8日、道兼もまた世を去ります


『小右記』正暦二年991九月七日 〜 道兼、座を起ちて、参議の座の前に 〜

『初任大臣大饗雑例』勧盃作法事による)内大臣<道兼。>、座を起ちて、参議の座の前に来たる。盃を執りて進み、尊者に勧む。未だ此の例を知らず

『権記』正暦二年991.九月七日 〜 道隆、内大臣の官を辞して道兼に譲る 〜
太政大臣の官は、摂政正二位藤原道隆朝臣の任ずべきなり。而るに謙譲の心、深くして、内大臣の官をも辞び申してき。此の般、猶ほ昇進せしめば、彼の心に違ひぬべし。右大臣従一位藤原為光朝臣は、数代に歴仕へて、朝の重臣とあり。仍りて殊に太政大臣の官に上げ給ひ治め賜ふ。正二位行大納言源朝臣は、供へ奉るべき次いでの人に有るに依りて、右大臣の官に任け賜ふ。正二位行権大納言藤原道兼朝臣は、朕の親舅なり。朝恩を蒙るべき人なるに依りてなむ、殊に内大臣の官に任け賜ふ。又、正二位行権大納言藤原済時朝臣を大納言の官に、正三位行権中納言藤原公季朝臣を中納言の官に、参議従三位藤原道頼朝臣を権中納言の官に、参議従三位藤原伊周朝臣を権中納言の官に、正三位藤原道綱朝臣を参議の官に任け賜はく」と勅りたまふ天皇が御命を、衆、聞きたまへと宣る
『権記』藤原行成日記

『小記目録』長徳元年995五月八日
左大臣重信・関白道兼、薨ずる事

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2024年01月21日

紫式部日記へ反逆オマージュ、道長ひがみ評の為時が策士に.漢字知らん宣言まひろが漢字ゲーム炸裂

〜光の君へ 第3回「謎の男」〜

まひろ・紫式部父為時(岸谷五郎)が、左大臣源雅信の動きを知りたいという主兼家の希望に応えて、まひろをスパイがわりに、赤染衛門が主催する左大臣家でのサロンへ送り込む。


初回、前回と為時は友人である藤原宣孝・佐々木蔵之介、まひろ・紫式部の夫となる人だが、から、その融通の利かなさ、世渡り下手を揶揄われる場面があった。今回は豹変をみせて娘を情報収集のために左大臣家へ送り込むという策士を岸谷・為時は演じる。

為時についての融通の利かなさ、世渡り下手という評は、「紫式部日記」中に、紫式部が道長から責めらるエピソードとして、現代の私たちも知ることができる。

寛弘7年1010・正月2日、道長は宴をもつ。宴終了後には、一条天皇臨御の管弦会を予定した。いずれにも為時は招かれたが、管弦会がはじまるとそそくさと帰る。為時の退席に気づいた道長は〜など、御父の、御前の御遊びにめしつるに、さぶらはでいそぎまかでにける。ひがみたり」など、むつからせたまふ。「ゆるさるばかり歌ひとつ仕うまつれ。親のかはりに、初子の日なり、詠め詠め〜(管弦会にも招いておいたのに、そなたの父はそそくさと帰った、堅物である。父為時の無礼にかえて、一首献じよ。さあさあ)と、紫式部に歌作を迫る。



間者に仕立てられて左大臣家を訪れたまひろ・紫式部は赤染衛門・凰稀かなめが漢字の偏を示すのにこたえて、床に広げられた旁を記した紙片を拾うという「偏つぎ」で独り勝ちしてしまう。源倫子をはじめ、そこに集う女御たちを呆れる。

〜「男だに才がりぬる人は、いかにぞや。はなやかならずのみはべるめるよ」と、やうやう人の言ふも聞きとめて後、一といふ文字をだに書きわたしはべらず、いとてづつに、あさましくはべり〜と、紫式部日記はいう。

男でさえ、漢籍の知識を自慢するような者、 賢さをひけらかす者は愚かだと、誰かが言うのを聞いた。それからというもの、私は「一」という漢字すら人前では書きことはしない、勉学に縁がないものとしてふるまう、という。

「偏つぎ」もまた、為時の策士への豹変ともに紫式部日記を裏切る、反逆のオマージュだった。

左大臣家からもどったまひろ・紫式部に為時は、左大臣家での見聞を探る。まひろ・紫式部はスパイとして送り込まれたことに気づき、静かに怒りをあらわす。ラストシーンは、散楽の場での道長とまひろ・紫式部の再会。吉高由里子の奔放・大胆のようで繊細な演技がじんわり迫る、、、


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2024年01月16日

蔵之介・宣孝とまひろ、曽祖父・歌人兼輔、代書屋・夕顔の歌、高御座で女を抱く花山天皇

〜光の君へ 第2回「めぐりあい」〜

冒頭は女性の成人を祝う「裳着の儀」。佐々木蔵之介・藤原宣孝が、男性でいえば烏帽子親にあたる「腰結」の典礼をつとめる
テロップに永観二年984とながされると、「まひろが母をなくしてから六年の歳月が流れた。そしてこの夜、成人の儀式がおこなわれたのである」と、伊東敏恵アナのナレーション



まひろの年齢を8歳に設定した、母ちやは刺殺事件から6年。紫式部の生年は、天禄元年970年・天延元年973・天元元年978など諸説あるが、「光の君へ」主人公のまひろ式部は天禄元年970年説をとるらしい

『紫式部日記』寛文七年の消息文に、今以上に老いぼれて、「めつらにそ」視力が落ちて経典も読まなくなるとある。この愚痴がこぼされた時期を、老眼が進む40歳前後と仮定し、他に、藤原実資の日記『小右記』にあるその後の式部の記録などから比定された各説で、いずれも信用できない

「腰結」をつとめた蔵之介宣孝は、まひろ式部が少女の頃から岸谷五郎為時の友人として初回から登場した
歴史上の宣孝と為時の付き合いは、ドラマ上のまひろ式部「裳着儀」同年、本郷奏多・師貞親王が即位し、花山天皇となった永観二年984.10月以降のことだと考えられる。二人は花山天皇の下、同僚として秘書官・蔵人に着任する

長徳二年996、越前守に着任した為時とともに、まひろ式部が越前へ下ると、宣孝はまひろへ、数通の恋文を贈る(上野辰義「紫式部と藤原宣孝」)。長徳4年998頃、ふたりは結婚。長保3年1001.4月15日、紫式部と一子をのこし宣孝は疫病に罹患し死去する。式部と宣孝の結婚生活は3年足らずで終わる

自室の文机にむかうまひろ式部は、「人の親の 心は闇に あらねども 子を思ふ道に まどひぬるかな」と口ずさみつつ、書き写す。『後撰和歌集』撰収の曽祖父藤原兼輔の歌。兼輔は、朱雀天皇下、従三位にのぼり権中納言をつとめた

男を声色して代書屋家業に励む、まひろ式部は、最初に代書した桜花の歌を女御から突き返されたと泣きついてきた、人のよさそうな職人に、今度は「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔」と詠じて渡す。三郎とまひろのあいだのその後を予見させる、もうひと悶着があり職人は恋を成就する




近くにより、大切に御覧ください。黄昏にぼんやり現れた夕顔の花を、と、詠うこの歌は、『源氏物語』四帖「夕顔」所収の、夕顔から贈られた「心あてに それかとぞ見る 白露の 光添へたる 夕顔の花」への光源氏からの返歌でした



扇子を足で操るりながら、母娘ともども遊んだと漢文指南役としてのぼる為時を揶揄う奏多師貞親王。この奇行譚は、親王が花山天皇となり後、出家するが、その後のことで、母娘と通じたうえ、その主人とも関係を結んだという。主人は、花山天皇の叔母にあたる人。別に大極殿高御座で女官と交るという話もつたわります

ただし、前者は『栄花物語』、後者は『江談抄』にあることで、花山天皇没100年後に著された資料中にある話。同時代史料の藤原実資『小右記』中にはみられない話

さて、奏多・花山天皇の話はともあれ、
『後撰和歌集』選定の曽祖父と、『源氏物語』へのオマージュが配された第2回でした。


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2024年01月09日

紫式部日記・源氏物語へのオマージュ、逃げたカゴの鳥・国仲母刺殺、紫式部の実名と年齢

〜光の君へ 第1回「約束の月」〜

「光の君」制作統括内田ゆき氏は「源氏物語を描くことはありません」ときっぱり。一方、源氏物語ファンにも楽しめるようなオマージュが所々にちりばめられている「分かる方には分かるようなネタが、いっぱい出てきますよ」と、プレスに語る

少女の落井実結子・まひろ式部が逃したカゴの鳥を探しに野をさまようところに、三郎、のちの藤原道長と偶然出会う。これから、一年にわたり描かれる、まひろ式部と道長との物語が逃げた小鳥を介してはじまる。

カゴの鳥を逃す話は『源氏物語』第五帖 〜若紫〜に述べられる。

「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠ふせごのうちに籠めたりつるものを」とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、「例の、心なしの、かかるわざをして、さいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる。いとをかしう、やうやうなりつるものを。烏などもこそ見つくれ」とて、立ちて行く。髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母とこそ人言ふめるは、この子の後見うしろみなるべし
(小学館『新編 日本古典文学全集20・源氏物語(1)』「若紫」より)

母に生写であったという藤壺の姪,
、未だ少女の紫の上をはじめて垣根越しに垣間見る光源氏。紫の上は、お付きの童女・犬君が大切に飼っていた雀をカゴからのがしてしまったことを詰る最中。『源氏物語』中、ひときは可愛らしい、このエピソードが最初のオマージュとして描かれた


土佐光起筆『源氏物語画帖』より

母ちやは国仲涼子は、主人為時任官の願掛けにのぼった森の小祠からおりてきたところを、狂乱した道長二兄・道兼に刺殺される。この時、まひろ式部の年齢設定は8歳。史実上「藤原為信女」とのみ伝わり、実名不詳のちやはは、式部弟・惟規を出産後、日だちが悪く亡くなったと推測される



紫式部には、まひろという、愛くるしさと寛ぎを感じさせる名を、脚本の大石静氏は授けたけれど、父為時の官職名・式部尉と、『源氏物語』紫の上から「紫」をとり通称「紫式部」のみが伝わりやはり実名は不詳。多くの研究者は紫式部の実名は確認されないとするが、大阪市立大学教授、平安博物館館長などを歴任した故角田文衞氏は「香子」が実名だと主張されます

幼いまひろ式部が、高貴な家の娘なのよ、と、三郎相手に意地を張る表情が愛をしい、、



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2024年01月08日

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『大鏡」中の花山天皇出家と安倍晴明/実資日記『小右記」中の義懐への文句
〜 光る君へ 九夜「遠くの国」〜


道長、倫子婿入り問題/仇を前に琵琶、、、
〜 光る君へ 八夜「 招かれざる者」〜


花山天皇・忯子と桐壺帝・桐壺/雨夜の品定め的布石/兼家の怒りをたたえた笑い、、
〜光の君へ 七夜「 おかしきことこそ」〜


女でも役に立つ平安社会・道長「望月の歌」への暗喩・式部日記から元輔セリフ・伊勢物語・万葉集から
〜光の君へ 六夜「ふたりの才女」〜


月と式部/道長の筆跡・乗馬/官位etc
〜光の君へ 五夜「告白」〜


道兼・花山天皇『源氏物語』筑紫の五節舞
〜光の君へ 四夜「五節の舞姫」〜


紫式部日記へ反逆オマージュ、道長ひがみ評の為時が策士に.漢字知らん宣言まひろが漢字ゲーム炸裂
〜光の君へ 三夜「謎の男」〜


蔵之介・宣孝とまひろ、曽祖父・歌人兼輔、代書屋・夕顔の歌、高御座で女を抱く花山天皇
〜光の君へ 二夜「めぐりあい」〜


紫式部日記・源氏物語へのオマージュ、逃げたカゴの鳥・国仲母刺殺、紫式部の実名と年齢
〜光の君へ 一夜「約束の月」〜





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2016年12月16日

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