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Frco.Don
Frco.Don
競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2014年02月10日

野伏り姿の荒木村重/信長の太刀の切っ先の饅頭/利休十哲としての村重



2月9日の大河官兵衛で気になったのは荒木村重のことでした。

話しが初回の放映のことになりますが、野伏り然とした男として村重が登場し、
鉄砲を買い付けるために堺の街を目指す官兵衛主従と巡り会い、飯までおごっ
てもらうという場面が描かれていました。

動乱の戦国の世の断片を語る物語として、いかにもという感がありますし、面
白い設定なのですが、史実上の村重は摂津池田城主・荒木信濃守義村の息子で、
野伏り然とした姿で街道筋を歩いているような事は考えられません。

9日の放映では、諸将が見守る中、初めて拝謁を許した村重に対して、信長が
饅頭を串刺しにした太刀の切っ先を向けるという場面がありました。村重は向
けられた太刀の切っ先に口を持っていき、饅頭を喰い取ります。

饅頭であったかどうか、串刺しになっていたものは、魚であったような記憶も
あるのですが、信長が差し出した太刀の先きに串刺しにされたものを、村重が
喰いとったというのは事実としてあったらしく、その場に居合わせた複数の将
が日記などに書いていると司馬遼翁か歴史学者の小和田恒夫さんが、何かの本
に述べていたかと思います。

また、官兵衛主従を館に招いた村重が、茶を振る舞うという場面がありました。
村重は利休十哲の一人に数えられ茶道に通じていました。

一方、信長は家臣統率の一環として、茶の湯政道として、手柄のあった家臣に
対して名茶器を下賜するとともに、茶会を開く権利を与えるというこを行って
いました。

後には村重もその権利を信長から与えらることになるかと思いますが、村重が
信長臣従当初において、茶器を下賜され、茶会を開く権利を与えられていた将
は柴田勝家(姥口の釜/カッコ内は下賜された茶器)丹羽長秀(白雲の葉茶壺)
明智光秀(八重桜の葉茶壺)と羽柴秀吉(乙御前の釜)のみだったかと思いま
す。

物語としては、利休十哲に数えられる村重を語るのに、是非とも必要な一場面
でした。  


Posted by Frco.Don at 21:39Comments(0)官兵衛情報

2014年02月02日

呆然!大河官兵衛/青山・土器山の合戦

今日の大河官兵衛。またも官兵衛が顔に流星を走らせたウマに騎乗。
欧米の映画でさえ、15世紀や16世紀を舞台にした映画に出て来る王は青毛か白馬に騎乗しているというのにッ!
今日のNHK官兵衛は、どうやら青山の合戦。
官兵衛が陣を敷いた、こちら土器山から望む夢前川をはさんでの青山方面。


  


2014年02月02日

官兵衛発行の納税証明証のコト/津屋崎・勝浦宛



今日の史料漁りは、こちら。
黒田官兵衛如水が直接見ていた、福岡藩領内津屋崎郷勝浦へ発行した慶長七年分の年貢としての「塩」皆済状。要するに納税証明。代官たる貝原市兵衛と如水の名があります。但し、写しです。


【 勝浦 塩田跡 】福津市勝浦

「如水発行 勝浦浜「塩」皆済状」
 福岡県立図書館蔵
「修史余録別集十貝原市兵衛 所収」 

 勝浦浜慶長七年分塩 皆済者也 慶八 五月廿四日 
 如水公 御書判 御黒印 貝原市兵衛  


Posted by Frco.Don at 15:23Comments(0)シメオン官兵衛孝高