2013年04月13日
福岡の建物/歴史編 中央区天神 安国寺/博多区吉塚 明光寺
天神の曹洞宗・安國寺と吉塚の明光寺の飴買い幽霊

福岡市の都心・天神に境内を広げる「安国寺」
《安国寺》吉田又三郎・妻/「岩松院殿禅室妙悦大姉」
福岡市の中心街・天神に境内を広げる曹洞宗・安國寺は、江戸時代初期に旧領・豊前中津から福岡初代藩主・黒田長政が現在地へ移設した。そんな由緒を持つ同寺には、延宝七年(一六七九)のこととして飴買い幽霊の話が伝わっている。
同寺近くの鍛冶屋町に、老夫婦がほそぼそと営む飴屋があった。その飴屋に毎日、日没近い刻限になると、三文分の飴を買いにくる女がいた。それは美しく、整えた髪といい、着物の着こなしといい、いかにも高貴な奥方風であった。ただし、どこかしら暗い影が漂い、発する言葉も消え入るようにか細く力がなかった。ある日、飴屋の老主人は、いつものように三文分の飴を受け取り去って行く女の後をつけた。
日没迫る薄暮の中を、からりころりと下駄を鳴らす奥方を密かに追うと、夕日を引いて道に映るはずの影が、その後ろ姿にはなかった。飴屋は、ぞっとするのを抑えて、今少しついて行くと、女は安国寺の山門をくぐり、そのまま墓石が並ぶ境内の奥へと消えた。と、女の姿が消えた先に見える、まだ土盛りを終えたばかりの、新しい墓から赤子の泣き声がする。これは、どうゆうことだと、飴屋が住職にそのことを知らせると、早速、墓を開いてみることになった。すると、飴を買いに来ていた女の姿が亡骸となって横たわっている横に、あいくるしく両の掌を揺らして女の赤ん坊が並んでいた。
女の墓石には「岩松院殿禅室妙悦大姉」と藩主か家老職級、あるいは大商人などに限られる高位の院号が入った戒名が刻まれている。寺伝によれば、この墓に眠る女は吉田又三郎なる人物の母とされ、延宝七年七月十九日が命日となっている。ただし、福岡藩士の記録である福岡藩文限帳にその名を見つけることはできないという。
墓石の腰には、子が母親にすがりつく姿に似た形で、墓から救われた女の子の墓石が並んでいる。
女の子は、その後、育てられたが、三歳か四歳で死んでしまったという。
《明光寺》 飴買い幽霊の子 鉄相禅師
福岡市博多区吉塚の明光寺は、明治四十三年(一九一〇)に道路の拡張工事に伴い、博多区上呉服町・当時の東町から現在地へと移った。
同寺にも若い女が毎夕、六文分の飴を近所の飴屋に買いに来ていたという飴買い幽霊の話が伝わっている。
話はおおよそ安国寺と同様で、怪しんだ飴屋が女の後をつけると、明光寺へと入ってくが見失った。すると赤子の泣き声が聞こえてくる墓がある。住持に事の次第を話して、墓を掘り棺を開いてみると、女の亡がらの横で男の赤ん坊が泣いていた。墓は、最近、懐妊したものの、臨月に入って病死した檀家の若い婦人のものだった。
この赤ん坊は寺で育てられ成長するが、名筆家として知られることになる江戸時代中期の明光寺第十七世住持・鉄相禅師が、その人だという。
名筆家らしく、禅師には天狗の筆競べの話が伝わっている。
ある夜、禅師の夢に天狗が現れる。天狗は「明日、筑紫野の宝満山で筆競べが行なわれる。聞けば禅師の筆は宇大第一という。そこで、明日の筆競べが行なわれる昼までの間、禅師の右腕を借り受けるぞ。借り受けた腕で筆競べに勝つことができれば、その肩に無事返してやろう」と言う。禅師が目を覚ますと、右腕は肩にぶらさがってはいるものの、力が入らず利かなかった。
禅師がそのまま眠ってしまうと、再び、天狗が夢に立ち、「おかげで第一の書を得た、腕を返してやる」と言った。目が覚めると右腕はあたり前に動いたという。
天狗は、筆競べに勝った礼に、火気が禅師の文字を除ける術をかけた。以来、禅師の文字は出火を防ぐと噂になり、博多ではこぞって、禅師の文字を求め家中に貼っていたという。鉄相禅師、元文三年(一七三八)遷化。

「岩松院殿禅室妙悦大姉」の戒名が刻まれた安国寺・飴買い幽霊の墓碑

毎度、どうも、たろう堂です。
学習マンガ・児童書 売ってください。福岡近郊出張買い取りいたします。
【買い取り査定基準】
新品同様コンディション▶新品定価20%
その他、一般書籍.CD.版画などあれば、まとめて査定いたします。お気軽にお問い合わせくださいませ。版画は鑑定の上、価格を査定
ご一報は、以下、いずれかをご利用ください。
・同ブログオーナーへのメッセージ欄
・メール taro_do@ybb.ne.jp
・携帯電話 090-2512-4299(清田)
〒811-0322 福岡市東区大岳3−21大岳住宅1−301 たろう堂/清田進
特に、学習マンガシリーズ まんが日本史や世界史はじめとしてなどなど。ほかに、絵本、児童書などこども物全般探索中。お気軽にお問い合わせください。

にほんブログ村

福岡市の都心・天神に境内を広げる「安国寺」
《安国寺》吉田又三郎・妻/「岩松院殿禅室妙悦大姉」
福岡市の中心街・天神に境内を広げる曹洞宗・安國寺は、江戸時代初期に旧領・豊前中津から福岡初代藩主・黒田長政が現在地へ移設した。そんな由緒を持つ同寺には、延宝七年(一六七九)のこととして飴買い幽霊の話が伝わっている。
同寺近くの鍛冶屋町に、老夫婦がほそぼそと営む飴屋があった。その飴屋に毎日、日没近い刻限になると、三文分の飴を買いにくる女がいた。それは美しく、整えた髪といい、着物の着こなしといい、いかにも高貴な奥方風であった。ただし、どこかしら暗い影が漂い、発する言葉も消え入るようにか細く力がなかった。ある日、飴屋の老主人は、いつものように三文分の飴を受け取り去って行く女の後をつけた。
日没迫る薄暮の中を、からりころりと下駄を鳴らす奥方を密かに追うと、夕日を引いて道に映るはずの影が、その後ろ姿にはなかった。飴屋は、ぞっとするのを抑えて、今少しついて行くと、女は安国寺の山門をくぐり、そのまま墓石が並ぶ境内の奥へと消えた。と、女の姿が消えた先に見える、まだ土盛りを終えたばかりの、新しい墓から赤子の泣き声がする。これは、どうゆうことだと、飴屋が住職にそのことを知らせると、早速、墓を開いてみることになった。すると、飴を買いに来ていた女の姿が亡骸となって横たわっている横に、あいくるしく両の掌を揺らして女の赤ん坊が並んでいた。
女の墓石には「岩松院殿禅室妙悦大姉」と藩主か家老職級、あるいは大商人などに限られる高位の院号が入った戒名が刻まれている。寺伝によれば、この墓に眠る女は吉田又三郎なる人物の母とされ、延宝七年七月十九日が命日となっている。ただし、福岡藩士の記録である福岡藩文限帳にその名を見つけることはできないという。
墓石の腰には、子が母親にすがりつく姿に似た形で、墓から救われた女の子の墓石が並んでいる。
女の子は、その後、育てられたが、三歳か四歳で死んでしまったという。
《明光寺》 飴買い幽霊の子 鉄相禅師
福岡市博多区吉塚の明光寺は、明治四十三年(一九一〇)に道路の拡張工事に伴い、博多区上呉服町・当時の東町から現在地へと移った。
同寺にも若い女が毎夕、六文分の飴を近所の飴屋に買いに来ていたという飴買い幽霊の話が伝わっている。
話はおおよそ安国寺と同様で、怪しんだ飴屋が女の後をつけると、明光寺へと入ってくが見失った。すると赤子の泣き声が聞こえてくる墓がある。住持に事の次第を話して、墓を掘り棺を開いてみると、女の亡がらの横で男の赤ん坊が泣いていた。墓は、最近、懐妊したものの、臨月に入って病死した檀家の若い婦人のものだった。
この赤ん坊は寺で育てられ成長するが、名筆家として知られることになる江戸時代中期の明光寺第十七世住持・鉄相禅師が、その人だという。
名筆家らしく、禅師には天狗の筆競べの話が伝わっている。
ある夜、禅師の夢に天狗が現れる。天狗は「明日、筑紫野の宝満山で筆競べが行なわれる。聞けば禅師の筆は宇大第一という。そこで、明日の筆競べが行なわれる昼までの間、禅師の右腕を借り受けるぞ。借り受けた腕で筆競べに勝つことができれば、その肩に無事返してやろう」と言う。禅師が目を覚ますと、右腕は肩にぶらさがってはいるものの、力が入らず利かなかった。
禅師がそのまま眠ってしまうと、再び、天狗が夢に立ち、「おかげで第一の書を得た、腕を返してやる」と言った。目が覚めると右腕はあたり前に動いたという。
天狗は、筆競べに勝った礼に、火気が禅師の文字を除ける術をかけた。以来、禅師の文字は出火を防ぐと噂になり、博多ではこぞって、禅師の文字を求め家中に貼っていたという。鉄相禅師、元文三年(一七三八)遷化。

「岩松院殿禅室妙悦大姉」の戒名が刻まれた安国寺・飴買い幽霊の墓碑

毎度、どうも、たろう堂です。
学習マンガ・児童書 売ってください。福岡近郊出張買い取りいたします。
【買い取り査定基準】
新品同様コンディション▶新品定価20%
その他、一般書籍.CD.版画などあれば、まとめて査定いたします。お気軽にお問い合わせくださいませ。版画は鑑定の上、価格を査定
ご一報は、以下、いずれかをご利用ください。
・同ブログオーナーへのメッセージ欄
・メール taro_do@ybb.ne.jp
・携帯電話 090-2512-4299(清田)
〒811-0322 福岡市東区大岳3−21大岳住宅1−301 たろう堂/清田進
特に、学習マンガシリーズ まんが日本史や世界史はじめとしてなどなど。ほかに、絵本、児童書などこども物全般探索中。お気軽にお問い合わせください。

にほんブログ村
玄洋社関係者が創建した福岡警固教会
福岡の建物歴史編/聖福寺で茶の接待を受けたザビエル
福岡の建物歴史編/リンドバーグ着水の名島水上飛行場跡
福岡の建物歴史編/アサヒビール博多工場内の二つの古墳
福岡の建物歴史編/マリリン・モンロー宿泊の国際ホテル
福岡の建物歴史編/博多駅前祇園町交差点の博多1号古墳
福岡の建物歴史編/聖福寺で茶の接待を受けたザビエル
福岡の建物歴史編/リンドバーグ着水の名島水上飛行場跡
福岡の建物歴史編/アサヒビール博多工場内の二つの古墳
福岡の建物歴史編/マリリン・モンロー宿泊の国際ホテル
福岡の建物歴史編/博多駅前祇園町交差点の博多1号古墳
Posted by Frco.Don at 13:39│Comments(1)
│福岡の建物
この記事へのコメント
場所がわかる人がいたら情報をお願い致します
Posted by 癒羅 at 2020年02月10日 04:07