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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2024年02月28日

宗像三女神、織縫神としての文献資料、民俗・考古資料

・文献資料

★三女神親神・須佐之男神による「忌機屋(聖なる機織り屋)」への悪戯についての神話(古事記・高天原誓約の段)

★大国主神と宗像三神の一、タギリヒメ神の子、ソトオリヒメ神が兄のアジスキタカヒコネ神を唱う歌唱に「機織り」が出て来る(古事記・天孫降臨の段)

★宗像社境内末社、縫殿神社の祭神・兄媛渡来説話(日本書紀 応神四十一年)

・民俗・考古資料

★宗像沖ノ島祭祀を継承したものがあるとされる伊勢神宮祭祀に、「神御衣祭」(かんみそ祭・毎年、四月・十月に新たに織った絹と朝の布帛を奉る)が伝わる。

★沖ノ島黄金谷出土「金銅機織雛形」

★宗像氏族墳墓・新原奴山古墳群在の奴山集落への縫殿神社鎮座

★同縫殿神社は元、新原奴山古墳群中の22号墳上に在った。

★新原奴山古墳群近接の弥生時代住居跡から紡錘車など織縫関連の遺物の出土

★宗像社境外末社に幟を織ることで戦勝を導いた説話を創建縁起にもつ織幡神社がある

※画像/伊勢神宮・神御衣祭 御料 (神宮HPより)


記事内のリンクに不具合がある場合には、ご一報いただけるとしあわせです。
tahi_qz@ybb.ne.jp

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那国王の教室・志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ・講演 歴史遠足予定

那国王の教室・志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ・講演 歴史遠足ご報告

那国王の教室・志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ
〒811-0322 福岡市東区大岳3-21-1-301
090-2512-4299・清田
tahi_qz@ybb.ne.jp

  


Posted by Frco.Don at 11:11Comments(0)三女神の海

2024年02月23日

大嘗祭祭儀の始源、阿曇神話・海幸山幸神話と龍神

龍神と綿津見神の混同に応える一文、、、



さて、龍です。

漢高祖・劉邦は、龍が父。龍と結ばれた母が産んだという伝承をもちます(『史記』)。

古代中華の魔物辞典といえる春秋戦国時代(BC770~221)成立の『山海経』に、始祖黄帝は龍に乗ったとあります。

高麗始祖王・東明王の母は河伯の子だといいます。(『魏書』『隋書』『周書』各高麗伝 『三国史記』『広開土王碑文』)。河伯は、つまり龍。

新羅始祖・朴赫居世の妃は、龍の脇から生まれたといいます(『三国史記』『三国遺事』)。

世界最古の龍を象る遺物が、BC4000年頃のものとされる、西水披遺跡(現共産中国河南省濮陽市)遺跡から出土しています。遺体を取り巻き敷き詰められた、貝殻で描かれた龍だそうです。昨夏には、BC4500~3000年の遺跡と考えられるモンゴル自治区彩陶坡遺跡から龍頭の飾りが出土しました。

そういえば『ゲド戦記』に龍、ドラゴンが活躍するな、と、思い出してネット上での確認ですが調べてみると、ギリシャ・ローマ神話、メソポタミア神話、ケルト神話、ゲルマン神話、いずれにもドラゴンが登場します。

では列島、豊秋津島国ではどうでせう。

記紀神話中の始祖神話、ニニギノ命の降臨。ホスソリ命・ホスセリ命・ホオリ命が活躍する海神宮巡遊、いわゆる海幸山幸神話。そして、アメノオシホミミ命からスサノオ命・ヒルメムチ、イザナギ命・イザナミ命、タカギムスビノカミへと遡りますが、どこにも龍の登場はありません。

ホオリ命とのあいだにウガヤフキアエズノ命を産んだ、トヨタマヒメ命が産室で化身した姿はヤヒロノワニであり龍、ドラゴンではありません。スサノオ命がクシナダヒメノ命を救おうと戦った相手はヤマタノオロチ。大蛇。

ギリシャ・ローマ神話中の人界始祖神話、朝鮮始祖王神話と、海神宮巡遊神話、イザナギ・イザナミ神話との間には共通する話素が多々あります。

東西をトルコ系騎馬遊牧民、スキタイ系騎馬遊牧民が共通する話素でつないだのだろうとは、現代の比較神話学界では通説です(大林太良・吉田敦彦・守屋俊彦・松前健・松村武雄・次田真幸)。

ここで不思議なのは、海神宮巡遊神話、イザナギ・イザナミ神話が形成されたと推測される、縄文時代中期から弥生時代前期には、龍、ドラゴンを登場させる神話が半島まで届くのですが、列島まで降りてくることはなかったということです。この件については、ただただ、謎だと考える他なく、説明する理屈の持ち合わせはありません。

さて、しかし、それでも、道教の流入がはじまる古墳時代以降には、古墳からの出土品に龍頭鉄剣がみられることや、宇多天皇即位時、仁和三年887に黄龍が現れたとの報告がなされる(『扶桑略記』)。10Cの船載品と考えられる宗像神社の金銅製龍頭など、龍神信仰につながる事物がみられるようになります。

これらは、海神宮巡遊神話、イザナギ・イザナミ神話が成立するのに遅れて、古墳時代以降に豊秋津島国に流入した龍神信仰の流入を示唆する事象や遺物ですが、龍神信仰は、あくまで河川と降雨への信仰であり、荒川絋氏が著書『龍の起源』で「代表的な龍が黄河の神である河伯である」と述べるように水神への信仰なのです。広く海洋を主宰する神、綿津見神への神祭りとは異なります。

中世にいたり、海神宮巡遊神話の舞台、ワダツミノイロコノ宮を竜宮城と記すようなことが起こったところから、水神信仰である龍神信仰との混同が始まったのでせうが、神祭りとしての内容、質は異なります。

これまで日向神話と呼ばれて、隼人族が伝承する神話とされてきた海神宮巡遊神話ですが、守屋俊彦氏は「そこで思うにこれはもともと阿曇氏の管理していた降神の儀礼であったのではないだろうか」(『記紀神話論考』雄山閣p363)と述べます。海神宮巡遊神話、海幸山幸神話は、阿曇氏が伝承する降神儀礼の神話化だということですが、同説も現在の比較神話学では、最も有力な説として通っています。

同神話は、天津神と綿津見、つまり海神とのあいだの婚姻、共食、犬の遠吠えなどの話素から構成されますが、これは大嘗祭の祭儀に通じます。そうした点から、同神話は「大嘗祭儀を反映したもの」([海幸山幸神話の形成と阿曇連」次田真幸『日本神話研究』3p119)と松前健氏は指摘します。翻って推測すれば、海神宮巡遊神話から再生される阿曇氏における、王継承についての祭儀が取り入れられて大嘗祭は、その形を整えたとも考えられます。

大嘗祭祭儀の原点とも考えられる、綿津見神信仰、阿曇の神祭りは、龍神信仰とは全くことなるものです。

画/青木繁「ワタツミノイロコノ宮」
  


Posted by Frco.Don at 00:23Comments(0)三女神の海

2023年08月22日

旧暦7月7日.七夕・三女神・多紀理比売の娘、下照比売の兄・阿遅志貴高日子根を詠う歌

大国主神と多紀理比売の娘。照比売による同母兄・阿遅志貴高日子根を称える歌

天なるや 弟棚機の 項る 玉の御統 御統に あな玉はや 
み谷 二ふたわたらす 阿遅志貴高日子根の神ぞ



  


Posted by Frco.Don at 11:19Comments(0)三女神の海

2013年09月18日

宗像氏貞 宗像大社再建の事・家人の事・領地高 石高の事

※画像は氏貞花押

・宗像大社再建の事

「宗像宮造営記録抄」に「弘治三年四月二十四日夜焼失天正六年迄二十二年神殿無之ナリ」とある
が天正六年六月一日正遷宮が行われた(筑前戦国史/吉永正春/葦書房/昭和51/238ページ)

・家人の事

「宗像大宮司天正十四年分限帳」によると氏貞直臣士分・四百五十六人、中間・雑色・厩衆五十人、
社官衆七十人、そのほか番匠・刀鍛冶・能太夫・塗師・笛吹等の諸芸衆二十人余、別に簾中に仕え
る女中など(筑前戦国史/吉永正春/葦書房/昭和51/238ページ)

・領地高 石高の事

「宗像大宮司天正十四年分限帳」によると氏貞領地高は宗像一円及び遠賀、鞍手に跨がり、総計
四五三三町八反七十歩とある。

徳川期元和元年、黒田長政幕府差し出しの検地表では宗像郡四万八千三百石とある。氏貞は鞍手・
遠賀も併有していたことから、更に石高はあったと考えられる。(筑前戦国史/吉永正春/葦書房
/昭和51/238ページ)

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Posted by Frco.Don at 06:47Comments(0)三女神の海

2013年08月05日

兄媛神の谷・奴山/福津市奴山集落

福岡県福津市の奴山は、なだらかな里山に囲まれ、奥には宗像大社の摂社・縫殿神社を鎮守
として置く静かな集落です。

集落の前面には、世界遺産国内暫定登録の「宗像沖ノ島関連遺産群」中の指定史跡である新
原・奴山古墳の50基近い群集墳をのせる丘陵が、まぶしく間近に海を見せながら延びていま
す。丘陵と集落を囲う里山のあいだには、流れる奴山川を半ばにして、ゆるやかな傾斜を成
して広がる水田が、豊饒を予感させる緑色を光らせています。

鎮守の縫殿神社の主祭神は、日本書紀に応神天皇の四十一年(373)春ニ月のこととして、
織女、縫女を求めて、呉国へと使いしていた阿知使主(あちのおみ)・都加使主(つかのおみ)
の親子が兄媛、弟媛、呉媛、穴織ら四人を伴い帰朝し、筑紫に着いた。兄媛については、宗
像社の三女神による強い請いがあり、その地に留まったとある四神です。

宗像三女神の請いにより、留まった兄媛については「筑紫国御使君之祖」となったとも日本
書記はふれます。

「筑紫国御使君」とは、他の文献に出て来ることがない、謎の職掌名なのですが、兄媛神を
招いた阿知使主、都加使主の流れをくむ筑紫での祖といった意味合いをいうではないかと思
われます。列島へと渡り来ることになった所縁の阿知使主、都加使主の流れをくむ氏族とし
ての、筑紫における祖という解釈でよいのだろうと思います。

阿知使主、都加使主は織り、縫いに関わる、伝承を多く持つ秦系渡来人の氏族ですが、宗像
三女神もまた、縫いとの所縁が色濃い神と考えられます。

兄媛神渡来伝承の他に、織幡による軍旗に宿る神威によって宗像三女神が賊を平らげるとい
った伝説
や、田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、 市杵島姫神(いちき
しまひめのかみ)の宗像三女神のうち、田心姫神(たごりひめのかみ)ご鎮座の沖津宮には
金銅高機雛形という織り機のミニチュアが伝来し国宝に指定されています。

この黄金の織り機は江戸時代の始めに藩主の黒田長政公が、沖津宮にあったものを、島のも
のは、一木一草たりとも持ち出すことが許されなという禁を、ポルトガル人の手を借り、犯
して藩邸へと持ち出したところ、収めた櫃のなかで鳴動したという話が伝わっています。

湍津姫神(たぎつひめのかみ)ご鎮座の宗像大島の中津宮で毎夏行われる七夕祭は、古い起
源を持つものですが、「棚機」とも表す、この祭りの原初的な形は、降臨してくる神にむけ
て、織衣を棚に安置したものであり、やはり織りとの深い関わりがあるものです。

何よりも、三女神の親神である須佐之男命が高天原で暴れ回ったあげく、皮を剥いだ馬を、
潔斎した織女たちが機を勤める忌機屋(いみのはたや)に投げ込むという神話が伝わっていま
す。暴虐を伝える話とはいえ、織りとの繋がりを暗示するものです。

こうした、いくつかの例から推測されることは、108社あるとされる宗像大社の摂社のな
かでも、織り、縫いをもたらした兄媛神を主祭神とする織殿神社は、宗像三女神の祭祀を特
に重要な位置で支えてきたのであろうということです。

伝来品として、永享12年(1440)鋳造の梵鐘や、南北朝のものと思われる大般若経六百巻
があるのですが、こうした貴重な品々が伝わることは、宗像三神に寄り添う神としての、か
っての威勢を示すものといえます。また、その社領も、古くは広大であった、ともいいます。

新原・奴山古墳群の最古の墳丘に眠るのは兄媛に違いない、との想像は十分に許されますし、
海にむけて、広がりをみせる奴山の谷を拠点に、代々、織り・縫いに勤め、業を伝えてきた
兄媛の末裔達が、取り囲む塚に葬られているのに違いないという推測も、また、許容の範囲
だろうと思います。

現代では、谷の半ばを分けて走る県道から奴山の集落へと上っていくのですが、古くは奴山
口という旧道から、はるばると入っていたのでした。

奴山口は、その昔、現在の津屋崎漁港から深く湾入し、水面を形成した入り江の水際でした。

その奴山口から奴山の谷を望むと、ようやく実をつけるかとみえる稲穂の濃い緑をおして、
降りてきた風が体をつつんでは過ぎていきます。

風も、野の輝きも、空行く雲も浜を打つ波も、兄媛の時代と変わらない。そんなことを静か
に思わせてくれる兄媛神の谷、奴山なのです。


兄媛神の谷に広がる水田と、新原・奴山古墳群  


Posted by Frco.Don at 17:22Comments(0)三女神の海

2013年07月15日

兄媛、弟媛、呉織、穴織の宗像七十五社中 縫殿神社 福津市奴山

宗像神が縫物の進んだ技術を求めて呉から兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、
呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)を招いた事を起源とする福津市奴山
集落の裁縫神社。

宗像神郡七十五社中の一社です。

須佐之男命が宗像三女神を生んだ後に、アメの忌み機屋に逆はぎにした馬を投
げ入れるという暴虐を働いたと古事記にあります。

また沖津宮・沖ノ島から金銅の織機が出土しています。同じく七十五社に数え
られる鐘ケ崎の織幡神社も織りにかかわる伝承を持っています。

とにかく、宗像三女神は織りとの深い縁を持つ神様です。

  


Posted by Frco.Don at 19:11Comments(0)三女神の海