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Frco.Don
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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2016年02月23日

太宰府天満宮参道麒麟像とグラバーとキリンビールエンブレム

               
キリンビールのエンブレムは、トーマス・グラバーが太宰府天満宮を訪れ、同宮参道の麒麟像を気にいった事で、現在の麒麟を象ったモノになったと云う話がネット上で氾濫しています。その典拠を確かめたく思い、太宰府天満宮研究所へ電話を入れ問い合わせると、学芸員さんから下記のコメントとともに、画像に示しています天満宮機関紙「天満宮梅風/麒麟とトーマス・グラバー」(天満宮禰宜・味酒安則著)ページをデータで送って頂きました。                                       
しかし、下記に抜粋した同頁中のグラバーと麒麟像についてふれる部分には、その典拠・論拠について述べるところがありません。そこで著者の味酒安則天満宮禰宜さんに電話を入れ、同部分の典拠・論拠について問い合わせた所、グラバーの日記に記載があると聞いたとの事でした。                          
そこで、福岡県立図書館にグラバーの日記を書籍にしたものは存在するのか問い合せたところ、無いとの回答でした。
                
更に、長崎市のグラバー園付きの学芸員さんに電話を入れ問い合せると「グラバーは日記どころか、筆無精でほとんど文書は伝わらない」「太宰府を訪問したことを裏付ける記録など、証拠はない」「キリンビール云々の時代は、まだまだ外国人が居留地を離れるのは難しい時代だ。仮に行動が許される地域以外を訪ねたのであれば、許可されたことが公文書に残っている」などの回答を得ました。
                           
以上、報告です。
                   
《太宰府天満宮研究所学芸員さんコメント》
麒麟像とキリンビールのお話については、各所に諸説ございますので、
天満宮の場合も、その一説ととっていただけると幸いでござす」                          
《「天満宮梅風/麒麟とトーマス・グラバー」中の該当部分抜粋》
グラバーは、この麒麟に一目惚れしてしまい、譲ってほしいと天満宮に懇願しました。もちろん神社としては神納されたものですから拒絶したのですが、彼の心は収まらず、この麒麟のレプリカを三躯作って、長崎へ持って帰ったという話が伝えられています。
彼は、この後、彼の友人の米国人が横浜にもっていたビールブルワリーを買収して、新たに付けた名前が「キリンビール」でした。」




  


Posted by Frco.Don at 21:41Comments(0)新・太宰管内史

2016年02月11日

島井宗室店舗ご案内


















本能寺の変に居合わせた島井宗室が持ち出したと伝えられる『空海 千字文』

【島井宗室】~元和元年(1615)

《島井氏出自》
対馬上津八幡宮神職
・ 毛利輝元に「公家の出か?」と聞かれて「ご勘弁を」と応えた
・ 対馬島井党 天正初年、島井右衛門尉、柳川権之助に暗殺される
党 共同体 宗室、島井右衛門尉暗殺以前に博多移住か
・ 対馬瑞雲寺 宗室、瑞雲宗室・虚白軒瑞雲庵と名号る

《年譜》
・ 天正4年(1576)大友宗麟より筑・豊・肥前、後の六カ国の自由往来、博多での諸役の免除を受ける
・ 博多津中での事件など宗麟配下の代官に情報を入れる
・ 天正初年、秋月種実に肩衝「楢柴」を召し上げられる
・ 天正10年(1582)、1.19日神屋宗湛と共に上洛、織田信長に謁見
          6.2日本能寺のの変 空海 千字文を持ち出す 
・ 天正15年(1587)秀吉「太閤町割り」に宗湛と協力、上浜口町に屋敷を拝領
・ 天正16年(1588)秀吉 朝鮮出兵で遣朝鮮使節、正使・聖福寺僧 景轍玄蘇、副使・宗義智に同行
・ 天正19年(1591)大坂城で秀吉、家康を前に朝鮮の地理を説明
・ 文禄1年(1592)以降、博多の自治の復活を石田三成に訴える/
・ 慶長6年(1601)福岡城築城に出資
・ 慶長15年(1610)神屋宗湛からの養子・徳左衛門に遺言状
・ 慶長17年(1612)崇福寺塔頭瑞雲庵再興

《商録》
・ 永禄9年(1565)8月、大友宗麟へ博多織20反納品
・ 永禄10年(1566)6月、豊後府内城館で二汁五菜を馳走され、朝鮮物産の商談をおこなう
・ 同年9月、対馬問屋博多屋から貨物(朝鮮物産か)が博多・宗室の店に届く代銀を支払い定期的な朝鮮物産の引き受けを約定する
・ 永禄11年(1566)2月釜山へ、3月京畿道へ、5月兀良哈(オランカイ)で商品購入、6月、商品を船便で大坂へ回送、利益を上げ船頭らに対して特別賞与を与える
・ 天正7年6月5日、朝鮮に向けて立つが、対馬府中(厳原)で大量に売り出している南蛮品が朝鮮で仕入れるよりも安いことを知り、買い求め博多へ回航。それらの南蛮品のうち、トタンが国内では品薄だったことから大坂で売った
・ 同9月海路、兵庫に上陸、道中、二、三の商談を行い、大和郡山に足を伸ばし和泉屋に商品を販売。堺のアカネ屋に一泊すると当主・太郎右衛門が仕切銀五十一貫三十目の借財を申し入れて来たことから応じた

《商材》
・ 博多練酒.博多織.南蛮物.朝鮮品.投銀.硫黄.茶道具.武具

《取引先》
大友宗麟、織田信長.豊臣秀吉.天王寺屋道叱.対馬梅岩.博多屋宗伝  


Posted by Frco.Don at 16:35Comments(0)新・太宰管内史

2016年02月02日

陳外郎・妙楽寺、菓子ういろう、薬ういろう


280201/10:00.御供所集合

【街歩き】
 御供所公民館から妙楽寺へ 神屋宗湛墓他、妙楽寺境内
11:30~ お昼 各自

【座学】13:00~
  会場・御供所公民館 
  御題「陳外郎・妙楽寺、菓子ういろう、薬ういろう」

画像・内容全編は、こちら、


画像/妙楽寺開山堂
  


Posted by Frco.Don at 09:41Comments(0)歴史遠足・講演予告編

2016年02月02日

維新の女先生、男装の高場乱で街歩き

280201/10:00.JR吉塚駅集合

【街歩き】
東公園日蓮上人像→亀山上皇像→千代松原名水井戸碑文→崇福寺
昼.自由散策.昼食各自 福岡県議会レストラン

【座学】13:00~
  会場・国登録文化財「箱嶋家主屋」
  御題「維新の女先生、男装の高場乱」

画像・内容全編は、こちら、


座学会場の箱嶋家主屋の荒神さん
  


Posted by Frco.Don at 08:19Comments(0)歴史遠足・講演予告編