2022年01月20日

「雪の釧路湿原でお弁当」今日の一枚/筑前の平家と源氏、その2「清盛祖父・正盛の2」


雪の釧路湿原・たとうとテトのトレッキング・今日の一枚
//釧路湿原松島岬で雪の上のお弁当//



さてさて、たろうの歴史小ばなし、、、。
筑前の平家と源氏、その2「清盛祖父・正盛の2」

〜 正盛の肥前の直澄討伐 〜

清盛の祖父・平正盛により、武家の棟梁とされた、源義家の長子・義親が打たれると、
源氏は衰退をみせます。一方、正盛は、白河院の引き立てにより検非違使職にあてら
れるなど出世し、平氏は隆盛をみます。

永久元年(天永四年七月改元/1113)。白河院による興福寺末寺・清水寺への人事の
介入が、興福寺、延暦寺間に対立を招き、洛中に騒乱をよびます。永久の強訴事件です。
検非違使職にあった正盛は、両寺の強訴に対して果敢な対応をみせ、備前守に遷任されます。
強訴への対応は検非違使職にあった正盛の職務の遂行ではあるのですが、その命令は、
検非違使の長官、検非違使別当藤原宗忠を無視し、白河院からの出たものでした。

このことが、検非違使庁を形骸化させ、院の私的な兵力、北面の武士の実力を充実させる
ことになりますが、その中心に正盛がありました。

そんな時に、仁和寺僧正領の九州肥前藤津荘で、なんらかの不手際から、荘司・平清澄が
解任され召喚されます。その子、直澄は藤津に残ると荘園の蔵米を、たびたび、盗むうえ、
新任荘司と、その家族を拉致監禁するという狼藉をはたらきます。

正盛は、直澄追捕の宣旨をうけると、「西海南海名士」(中右記・元永二年十二月二十七日)
を集合、派兵し、直澄の首をあげます。

正盛は、備前守受領、以来、積み上げた、「西海南海の名士」、つまり、瀬戸内から九州へ
わたる勢力との関係を集合して直澄を討ったのです。肥前は、その後の正盛子・忠盛、孫・
清盛を通じて平氏が九州へと進出する足がかりとなります。(つづく)

〜 参加者募集開始/主催:志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ・後援福岡市〜
カヌーで多々良大橋をくぐり抜け、河畔公園のサクラに「春」うらららら、、、、
3月26日(土)歴史とサクラの多々良川カヌートレイル・募集チラシページ
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名島神社一の鳥居沖

  

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2022年01月20日

雪の上でたろうとテトとチチ/たろうの歴史小ばなし.筑前の平家と源氏.その1「清盛祖父」


チチとテトとたろう。釧路湿原の雪の上



ところで、たろうの歴史小ばなし、、、。筑前の平家と源氏、その1「清盛祖父・正盛の1」
〜 正盛、肥前の直澄討伐 〜

清盛の祖父・平正盛は、嘉承三年(一一〇八)一月十九日 。源義家の嫡男、頼朝の曽祖父
・源義親を滅ぼします。

義親は、従五位下に叙され対馬守に任じると、九州で濫行を働き、大宰大弐大江匡房より
告発をうけます。朝廷は、父陸奥守義家に義親召喚を命じます。義家は義親召喚の使者を
発しますが、こともあろうか使者が義親に同心してしまい、同道した役人を殺害してしまいます。

この事件によって義親は隠岐への流されるのですが、嘉承二年(1107)十二月。突如、
出雲国に現れ、出雲国守藤原家保の目代を殺害してしまいます。ここに、清盛祖父・平正盛に義親の
追悼の命が下ると、見事にその首を上げます(『中右記』同日条)。

こうしたことから、正盛は、白河院の覚えめでたく、但馬守を受任。一党中には過分の官職を
得る者もあり、伊勢平氏(以下、平家)の台頭がはじまります。一方、「武士之長者」(前同)
と称された先代義家はすでになく、義親が賊として誅された河内源氏(以下、源氏)は、頽落を
みせることになります。(つづく)



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ヤンチャたろう画像・仲良しのタカちゃんと志賀島沖、、、、  

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2022年01月19日

櫛田神社.創建の謎.源頼朝と筑前住吉宮昌長・その5「櫛田神社が同時代史料に欠ける件」


テト。顔、キレてます、、、

さて、たろうの歴史小ばなし、、、。源頼朝と筑前住吉宮昌長・その5「櫛田神社が同時代史料に欠ける件」

昨日、平清盛の博多進出にともない創建されたといわれる博多の櫛田神社ですが、同時代史料に、
その社名を確認できないことについてふれました。
『平家物語』〜大宰府落ち〜中に、太宰府に亡命していた平家一門を、豊後の豪族・緒方維義が襲うというクダリ
があります。
維義に追われた一門は、「天満天神(安楽寺天満宮・現太宰府天満宮)の注連の辺を心細くも立ち別れ」ると、
山鹿秀遠の山鹿城(福岡県遠賀郡芦屋町)へと落ちていきます。その途上「住吉・箱(ママ)崎・香椎・宗像伏し拝」したと
いうのですが、なぜかここに、櫛田神社の名前が出て来ません。博多にあっては、櫛田神社は平家の氏神であるはずなのです、が。
九州大学服部英雄教授は「櫛田神社は神崎庄にも、また博多にも祀られていた。表玄関である博多と、裏玄関である神崎庄
の双方に、この神社は祭られたのである。神崎庄の櫛田社に関わる文献史料は、はやく大治元年(1126)の同社文書に登場するが、
博多の櫛田神社は永仁3年(1295)の同文書中に、また鎮西探題北条随時の再興を記す暦応3年(1340)の鐘銘など、鎌倉時代末期以後
を待なければ登場しない。 遡り、承和4年(847)、に円仁が博多に滞在し、各社寺で仏事法要を行った記録『入唐求法巡礼行記』
を遺すが、ここには、全く登場しない」(「日宋貿易の実態・諸国来着の異客たちと、チャイナタウン・唐房」)と、指摘されます。



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太郎、カヌーで生まれてはじめての釣果!  

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2022年01月18日

頼朝御家人筑前住吉宮の巻/たろうの歴史ばなし「源頼朝と筑前住吉宮・昌長の4」


雪原にテトとトテを休ませて、たろうは雪と遊んで、、、

さて、たろうの歴史小ばなし、、、。頼朝が山木判官の首を挙げて、、その4
山木判官邸襲撃が成功すると、頼朝は石橋山で平家側諸氏との合戦に挑むことになります、が、その妻北条政子は、
伊豆走湯山の文陽房覚淵の元に隠れます。昌長は、用心棒役で政子に従います。
ご存知のように、その後の歴史は、壇ノ浦に平家一門が沈み、不仲とった弟・義経を頼朝が奥羽・平泉に滅ぼすと、
建久3年(1192)7月には、征夷大将軍に任ぜられます。
『吾妻鏡』の翌建久3年4月11日条に、昌長とともに伊豆へ流されていた、住吉昌助が頼朝留守の御所を訪れ、
帰国の挨拶をおこなったことが記されています。
頼朝の挙兵草創期から、昌助・昌長兄弟が従った筑前住吉社は、鎌倉幕府開府後、「筑前における在地勢力
〜神官御家人〜として重きをなし、鎌倉後期には鎮西探題の奉行人とした活躍する」(川添昭二氏『中世九州の
政治と文化』)た、のだそうです。一方、平家縁者の所領となっていた、宗像・香椎・筥崎各社領は平家没官領
として幕府に召し上げられて、鎮西奉行・天野遠景の管理の下におかれます。
なお、櫛田神社の名が、「吾妻鏡」をはじめとした同時代史料中に現れれることがありません。櫛田神社は
平清盛の博多進出に関連して創建されたとも言われますが、実は、『平家物語』にも、その名が現れること
はないのです。(つづく)

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030926志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ
「志賀島綿津見三座カヌー巡拝」虎島上陸攻略記(福岡市後援)  

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2022年01月17日

〜たろう歴史小ばなし〜頼朝挙兵吉日を占う筑前住吉宮神官昌長3/挙兵、その後


テトとたろう。いよいよ雪の釧路湿原へ、太陽の道へ、、、

さて、たろうの歴史小ばなし、、、。頼朝挙兵の吉日を占う、筑前住吉宮・小大夫昌長の巻、その3
これまで物語しました頼朝と住吉小大夫昌長についての二回に重なる部分もありますが、以下、「吾妻鏡」中の記述に沿い
頼朝挙兵後までを追います。
兄昌助とともに筑前から伊豆へと流された昌長が、はじめて頼朝の引見を受けるのが治承4年(1180)7月23日。
8月6日。再び召された昌長は、17日寅卯の刻を以て、平家目代山木判官・平兼隆襲撃するのが吉と占います。
前日16日。昌長は、頼朝舅・北条時政邸での閻魔王の役人・冥官に祈るという天冑地府祭を斎行。戦勝を祈願します。祭後、頼朝は、
手づから神鏡をとり昌長に渡します。帰還は希まぬという覚悟を示したのでせう。翌17日、挙兵当日。間道をとるべきだと
時政が進言しますが、頼朝は、大業のはじめ、堂々と大路をとると応じると、「また住吉小大夫昌長(腹巻を着す)
を軍士に副えらる。これ御祈祷を致すに依ってなり。」と吾妻鏡はつづります。
ここで、吾妻鏡は昌長を「軍士(師)」と記しますが、現代でいう参謀とは異なります。「御祈祷を致すに依って」と、述べ
られるように、軍中の祈祷をおこなう者をいいました。戦国時代に下っても「軍士・軍師」は、戦場で占術・祈祷をつとめる者
を言います。(つづく)

〜 参加者募集開始 〜
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多々良川カヌートレイルの桜

  

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2022年01月16日

〜たろう歴史小ばなし〜頼朝挙兵吉日を占う筑前住吉宮神官昌長/平家と対立する筑前住吉宮〜


雪の釧路湿原へ。出発前の牧場で。インストラクターの大久保さんと、、、

昨日の続編、たろうの歴史小ばなし、、、。頼朝挙兵の吉日を占う、筑前住吉宮・小大夫昌長の巻、その2
治承四年(1180)8月17日に源頼朝は、伊豆平家目代・平兼隆邸を襲い首をあげるのですが、その日を決行の吉日と占うのが
筑前住吉宮神官・住吉小大夫昌長でした。なぜ、筑前住の神官昌長が、遠く、伊豆での頼朝挙兵に立ち合い、挙兵の日取りを
占い、戦勝祈願までおこなうことになるのか。昌長は、伊豆へ流されていたのです。
保元三年(1158)八月。平清盛が大宰大弐に任官します。以降、平家は筑前そして、博多の権益掌握に動きます。筑前の
北部を貫流し博多へと流れ下る那珂川上流、岩門城(福岡県那珂川市安徳)の原田種直が目代(代官)に任じられますが、
那珂川流域から河口にかけて筑前住吉宮は社領を有していました。種直は当然のように、その掌握にかかったと考えられます。
住吉宮はまた、対宋、対鮮交易に当たっていましたが、対外交易独占という清盛の意を介して、ここにも、種直は介入したと
推測されます。筑前他の神社、香椎宮・筥崎宮・宗像社・安楽寺太宰府社はいずれも平家の保護のもとにありましたが、ひとり
住吉宮は、対立していたのです。
それら対立の結果として、「吾妻鏡」は、「佐伯の昌助と云う者有り。これ筑前の国住吉社の神官なり。去年五月三日伊豆の国に配流す。
是より先同祠官昌守、治承二年正月三日当国に配すと。而るに彼の昌助弟住吉小大夫昌長、初めて武衛に参る」と、記し、住吉昌助・
昌長兄弟が伊豆へ流されて、昌長が武衛、つまり、源頼朝にはじめて召された事を記します。その3へつづく、、、、


「博多往古図」福岡県立図書館/大田資料552号


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名島橋・JR・西鉄橋梁南側
  

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2022年01月15日

〜たろう歴史小ばなし〜頼朝挙兵の日を占う、筑前住吉宮の小大夫昌長の話


雪の釧路湿原へ、愛馬テトと初陣前のたろう冠者

さて、さて、たろうの歴史小ばなし、、、。頼朝挙兵の吉日を占う、筑前住吉宮・小大夫昌長の巻、その1
来週辺り、大泉頼朝さん、挙兵?。ホンモノの源頼朝さん。佐殿の平家打倒の最初の挙兵は治承四年
(1180)8月17日でした。その日、平家目代(代官)・山木判官・平兼隆邸を、100余騎で襲い、その
首を上げると、その後の石橋山の合戦へと歴史は流れはじめます。この平兼隆邸襲撃の日取りを決める
占いをおこなったのが、筑前の住吉宮神官・住吉小大夫昌長でした。昌長が頼朝に召されて、挙兵の
吉日を占ったのが11日前の8月6日。挙兵前日の16日には、戦勝祈願の天曹地府祭の斎主をつとめます。
その神事後、佐殿は手づから神鏡をとり昌長に渡したといいいます。帰還は希まぬという覚悟を示した
行動でしょうか。天曹地府祭は、閻魔王の役人・冥官に祈るものだそうで、不思議なお祭りなのです、が、
では、ところで、なぜ、ドーして、どういうワケで筑前の住吉宮の神官・小大夫昌長が、遠く、頼朝が
配流生活を送っていた伊豆にいたでしょう。それは、また明日、、、、


〜 参加者募集開始 〜
カヌーで多々良大橋をくぐり抜け、河畔公園のサクラに「春」うらららら、、、、
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カヌーから見上げる名島橋  

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2022年01月14日

寒い夜はお風呂/空耳作品「ガッツだぜ!!」/名島城妙見島の小早川隆景と神屋宗湛

ウルフルズ「ガッツだぜ!!」は、KC&ザ・サンシャイン・バンドの「That's the Way (I Like It)』のサビ部分が「ガッツだぜ」と、聞こえてきたのを、テープに録音してふざけていた事がはじまりで出来た曲。つまり空耳から出来た曲と、トータス松本が NHKの番組で語っているのを聞き、妙に喜ぶチチうえ。不思議なチチの壺に気づく、今日の、たろう冠者でした。


さて、さて、多々良川小ばなし、その3「名島城・妙見島の茶会」
多々良川河口に浮かぶ海城・名島城の周囲が、現在のように埋め立てられる以前。潮が引けば道が現れて、渡れる沖合に妙見島が浮かんでいました。天正15年(1587)の豊臣秀吉による対島津九州平定戦後、筑前国守に据えられて名島城主となった小早川隆景は、その妙見島で、博多衆・豪商神屋宗湛とお茶をするのです。

その時の事は、「神屋宗湛茶湯日記」天正十六年二月二十五日条に、
名島城「御普請始也」とあり、隆景による名島城の近世城郭としての改修のはじまりを記すとともに、その陣中見舞いに、同三月六日、宗湛が島井宗室と連れ立ち、博多の銘酒として全国的に評判があった「白練酒」に重箱三重の肴を添えて妙見島を訪れ、茶を隆景と楽しんだ、と、、、、

名島城から妙見島(大正時代頃)/九州電力名島火力発電所と名島城跡の北に浮かぶ妙見島


カヌーで、名島城北側/名島神社一の鳥居を見ながら

〜 参加者募集開始 〜
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2022年01月13日

ビビートまりお「リスペク風神」が好きなたろうは、ドサン馬・テトと雪の中


雪の日は「リスペク風神」を歌いながら跳ねる!

さて、多々良川小ばなし、その2「名島城」

天文年間、大友一族・立花鑑載が立花城出城として築いたと、、、
天正15年(1589)、九州平定を終えた豊臣秀吉が小早川隆景に筑前、筑後、肥前の一部を与え、中世城郭としての
海城として改修。肥前名護屋城が落成するまでの間、秀吉による朝鮮出兵構想を支える最前線の城としての役割を、、、。
慶長5年(1600)。関ヶ原戦後、黒田が入るが、福岡城築城に同城資材が使用され、慶長7年(1602)廃城。なのだそーーな。

貝原益軒『筑前国続風土記』糟屋郡・名島弁財天社に、、、
今の社東いと高き山を神宮が峯と云う。此山則いにしへ社ありし所也。一説、神功皇后ののぼらせ給ふ峯なる故に、
神功が峯と云。小早川隆景、名島の城を築れし時、今の所にうつさる。神宮峯の南を鳥居峯とといふ。是鳥居を建
たりし所也。(城ありし時は南の丸といふ)元禄年中、国君より社をむかしのごとく山上に移され、神殿を綺麗に
改めて作りて、石の鳥居を立給う。

と、あるのです


昭和初めの頃の名島城後。左側から、中央の九州電力名島火力発電所の煙突の後ろにつづく丘陵。奥は立花城の立花山。
手前は多々良川河口のヨットハーバー

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2022年01月12日

今日は「スキーの日」たろうは愛馬・とトテ(ドサン馬)とトレッキング。多々良川は快晴


「鶴居どさんこ牧場」で、銀世界の釧路湿原へのトレッキングへ駆け出る前のたろうと、九州多々良川で、冬の晴天に恵まれての
カヌートレイル

1月12日。今日は【スキーの日】ののだそうで、、、
明治44年( 1911)1月12日にオーストリア陸軍のレルヒ少佐が、新潟県高田(現在の上越市)の陸軍高田歩兵第58連隊の青年将校に、
日本で初めてスキーの指導を行なったことから制定されたのでした

さて、今日の多々良川小ばなし、、、、。
多々良川。その名のワケ

三韓征伐に際して、神功皇后が精錬技術をもつ韓鍛冶(からかぬち)を招聘。多々良川で産する砂鉄をもちい蹈鞴(ふみたたら)
で精錬させた。「タタラ」という語、自体が精錬技術を指しもし、多々良川と名された、と、伝わる。(水系河川整備基本方針 p2より)

との話でした


韓鍛冶

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2022年01月11日

多々良川カヌートレイルご案内no.4 04.01.11号/Youは何しに福岡市東区に?その2.アインシュタイン


多々良川でカヌー/福岡市東区松崎3丁目沿い

Youは何しに福岡に?その2
〜 大博劇場で「相対性理論」講義のアインシュタイン 〜

大正11年(1922)。アインシュタインは東京の出版社・改造社の招待をうけ、日本国内数カ所で
「相対性理論」をテーマに講演をおこなうため10月8日、日本郵船「北野丸」でフランスを出発す
るが、船中で腹痛を発症。たまたま乗り合わせた三宅速九州帝国大学外科斑部長が診察。11月17
日に神戸に到着すると、アインシュタインは予定になかった福岡での講演を希望。大博劇場(現博
多区呉服町)での講演が実現。その際、福岡高校から持ち込まれた黒板が使われた。講演後、アイ
ンシュタイン板書の黒板はニスで固められ、永久保存をと同校に戻る。ところが、現在は、行方知
らずとの話。

左)九州大学で記念撮影 右)アインシュタイン板書の黒板

〜 参加者募集開始 〜
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2022年01月10日

多々良川カヌートレイルご案内no.3号 04.01.10号編/Youは何しに福岡市東区に?その1


カヌーから西鉄多々良川橋梁ごしにJR多々良橋梁

Youは何しに福岡に?その1
昭和29年(1954)2月、世界一周新婚旅行で福岡訪問のマリリンモンローとジョーディマジオ

(左)東区西戸崎Camp HAKATAのジョー・ディマジオとマリリンモンロー(中) モンローお気に入りの
オニオンスープを提供した、当時のロイヤル「花の木」(国際ホテル前・現・中洲4−6−12・ファミ
マ中洲四丁目店)(右)モンローとディマジオが宿泊した国際ホテル現・博多区中洲5―3−8 アクア博多

〜 参加者募集開始 〜
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2022年01月09日

多々良川カヌートレイルご案内no.3号 040108号津屋堰編


  左.津屋堰下の茂みをカヌー往く/右.津屋村を記載する「筑前国郡図」糟屋郡一部(福岡県立図書館)


現在の福岡市東区津屋周辺と、魚道を通す津屋堰



〜 参加者募集開始 〜
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2022年01月08日

唐津街道多々良大橋の図&「歴史とサクラの多々良川カヌートレイル」ご案内

現在、国道3号線は、筥崎宮から名島方面へとまっすぐ東に。
江戸時代。唐津街道は、筥崎宮から南におれて原田宿へ(唐津街道map参照)。
多々良大橋を渡り蓮華坂へつづいていたそうで、、、、。

奥村玉蘭「筑前名所図会」原田・多々良大橋之図


唐津街道map


多々良川原田橋(旧唐津街道多々羅大橋)

3月26日(土)歴史とサクラの多々良川カヌートレイル・チラシ

3月26日(土)歴史とサクラの多々良川カヌートレイルFacebookイベント  

2022年01月07日

カヌーから名島橋/小早川隆景の多々良川架橋/3.26多々良川カヌーで花見案内

江戸時代。多々良川最下流の橋は、現在の原田、津屋辺り。ここから合流した多々良川と宇美川おおきな入江を形成していました。

江戸時代初期に著された『豊前覚書』(文献出版p59)。また、朝鮮出兵を翌春にひかえた天正19年12月27日付の、当時、
名島城主であり筑前国を預かっていた小早川隆景宛書状で豊臣秀吉は、多々良川への架橋を命じています。(下記参照)

この時の架橋は、やはり、原田、津屋辺りにおこなわれたものと思われます。
現在の位置への架橋は、国道3号道路橋・昭和8年(1933)/R九州名島鉄橋・当時の九州鉄道橋梁・明治24年(1891)/
西鉄名島橋梁は大正12年(1923)。なお、3号道路橋と西鉄橋梁はA級近代土木遺産に指定だそうです。

【秀吉.天正19年12月27日付小早川隆景宛朱印状・『豊臣秀吉文書集』3862(名古屋市博刊)】
筑前多々良川ニ橋可懸之用意由、加藤主計頭、黒田甲斐守、毛利壱岐守申候。川面間違不及橋所候条、無用候、殊更方々普請等
彼是不可有手透候間、橋之儀可被相止候。猶右両三人山中橘内(長俊)可申候也
極月廿七日  秀吉朱印 羽柴筑前侍従殿


カヌーから見上げる名島西鉄橋梁と3号線道路橋

サクラ満開の頃、名島海岸・名島神社一の鳥居からカヌーで出て、名島橋を見上げて花見!
参加者募集開始/先着順(午後の部残8名)
  

2022年01月05日

名島橋をカヌーでくぐり、多々良川河口でお花見:案内3号「チラシ」編

サクラ満開の頃、名島海岸・名島神社一の鳥居からカヌーで出て、名島橋をくぐり花見!
参加者募集開始/先着順



名島橋をカヌーでくぐり、多々良川河口でお花見:案内0号「宇佐〜多々良.鉄の道」編/ 案内1号「大正時代の多々良河口」

  

2022年01月03日

サクラの多々良川カヌートレイル案内1号「大正の多々良河口」編

〜 参加者募集開始 〜
カヌーで多々良大橋をくぐり、川岸公園のサクラを楽しみ「春」うらららら、、、、
ご案内:第1号 040102号

トレイルコース:名島海岸⇄名島城下帆柱石沖⇄R3名島大橋下⇄西鉄貝線鉄橋⇄JR鹿児島線⇄
多々良川河畔公園沖⇄鳥島⇄顕孝寺⇄唐津街道名島橋(原田橋)


画像1.040102号 左.多々良川カヌーから名島大橋/右.名島神社一の鳥居沖

多々良川水上の上の教室テーマ
神功皇后の帆柱石と若杉山/箱崎唐房/足利vs菊池・大友vs毛利 多々良浜合戦/小早川隆景名島築城と架橋
/津屋顕孝寺/宗湛と妙見島/名島水上飛行場とリンドバーグ「シリウス」飛来、など、
参照:レジュメp1より:八幡神・鉄の神の道Map
宇佐宮→香春神社→大分八幡宮→多々良川源流宇美八幡宮→筥崎宮→多々良河口

大正時代の多々良川河口。名島城跡・九電火力発電所・ヨットハーバ等がみえる。奥は立花山

令和4年3月26日(土)午前の部9:00名島海岸集合/午後の部14:00同(予備日3月27日)
参加費:¥8.000- (当日)定員:12名.先着順/更衣は車内となります。下半身は濡れて良い衣服
インストラクター3名でご案内

問い合わせ:申し込み/ 志賀島航路とJRうみ中線DENCHA満員計画クラブ
090-2512-4299/tahi_qz@ybb.ne.jp
主催:志賀島航路とJRうみ中線DENCHA満員計画クラブ
後援:福岡市



  

2022年01月03日

サクラの多々良川カヌートレイル0号「宇佐〜多々良・鉄の道」編

〜 参加者募集開始 〜
カヌーで多々良大橋をくぐり、川岸公園のサクラを楽しみ「春」うらららら、、、、
ご案内:第〇号 040102号

トレイルコース:名島海岸⇄名島城下帆柱石沖⇄R3名島大橋下⇄西鉄貝線鉄橋⇄JR鹿児島線⇄
多々良川河畔公園沖⇄鳥島⇄顕孝寺⇄唐津街道名島橋(原田橋)

画像0.040102号 名島神社一の鳥居沖

多々良川水上の上の教室テーマ
神功皇后の帆柱石と若杉山/箱崎唐房/足利vs菊池・大友vs毛利 多々良浜合戦/小早川隆景名島築城と架橋
/津屋顕孝寺/宗湛と妙見島/名島水上飛行場とリンドバーグ「シリウス」飛来、など、
参照:レジュメp1より:八幡神・鉄の神の道Map
宇佐宮→香春神社→大分八幡宮→多々良川源流宇美八幡宮→筥崎宮→多々良河口

令和4年3月26日(土)午前の部9:00名島海岸集合/午後の部14:00同(予備日3月27日)
参加費:¥8.000- (当日)定員:12名.先着順/更衣は車内となります。下半身は濡れて良い衣服
インストラクター3名でご案内

問い合わせ:申し込み/ 志賀島航路とJRうみ中線DENCHA満員計画クラブ
090-2512-4299/tahi_qz@ybb.ne.jp
主催:志賀島航路とJRうみ中線DENCHA満員計画クラブ
後援:福岡市




  

2021年10月21日

031115志賀海神社山誉祭とイザナギ神話・海幸山幸神話をテーマに綿津見三座巡拝


水平線に相島。昭和54年(1979)~57年(1981)のあいだ、3次に及んだ海の中道遺跡の発掘状況。遺跡底部は、海面より低い。


  

2021年10月11日