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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2024年03月08日

登山するカエル

 福岡県太宰府市と筑紫野市にある国指定史跡・宝満山(829メートル)を登るヒキガエルが、太宰府市の市民遺産になった。地元の保護団体「宝満山ヒキガエルを守る会」によると、例年5月から1か月あまりかけて、麓の池から山頂を目指すとされ、市景観・市民遺産会議で14日に認定された。

読売新聞より、、、
https://www.yomiuri.co.jp/science/20201015-OYT1T50161/




山頂を目指すヒキガエル(2017年6月、「宝満山ヒキガエルを守る会」の渡辺利久男さん撮影)
山頂を目指すヒキガエル(2017年6月、「宝満山ヒキガエルを守る会」の渡辺利久男さん撮影)
 同会によると、ヒキガエルは太宰府市内の麓にある池2か所で、5月中・下旬頃、オタマジャクシからカエルになり、1万~10万匹が林道の側溝や登山道の石段をよじ登り、山頂に向かう。高低差約600メートル、2・5キロほどを歩き、100~1000匹が6月下旬~7月初旬頃、山頂に到達するとされる。数年後には再び麓の池に戻って繁殖行動をするとみられる。

 2010~11年、会員が池でカエルが産卵し、大量のオタマジャクシが孵化ふかすることを発見。佐賀大名誉教授の田中明さん(76)(環境情報学)が16年に「登山」の様子を確認した。田中さんは、宝満山以外でヒキガエルが山頂を目指す状況は確認されていないとしており、「はっきりした理由はわからないが、多くの登山者の靴底が運ぶカエルのにおいを追って登っている可能性がある」とみる。

 同会は、カエルを観察し、踏まないよう注意を呼びかけるポスターを掲示するなどしており、「神秘的な生態を持つカエルの尊さを知り、宝満山の自然と歴史への愛着を深めてほしい」としている。


  


Posted by Frco.Don at 23:43Comments(0)たろうな日々

2022年01月20日

「雪の釧路湿原でお弁当」今日の一枚/筑前の平家と源氏、その2「清盛祖父・正盛の2」


雪の釧路湿原・たとうとテトのトレッキング・今日の一枚
//釧路湿原松島岬で雪の上のお弁当//



さてさて、たろうの歴史小ばなし、、、。
筑前の平家と源氏、その2「清盛祖父・正盛の2」

〜 正盛の肥前の直澄討伐 〜

清盛の祖父・平正盛により、武家の棟梁とされた、源義家の長子・義親が打たれると、
源氏は衰退をみせます。一方、正盛は、白河院の引き立てにより検非違使職にあてら
れるなど出世し、平氏は隆盛をみます。

永久元年(天永四年七月改元/1113)。白河院による興福寺末寺・清水寺への人事の
介入が、興福寺、延暦寺間に対立を招き、洛中に騒乱をよびます。永久の強訴事件です。
検非違使職にあった正盛は、両寺の強訴に対して果敢な対応をみせ、備前守に遷任されます。
強訴への対応は検非違使職にあった正盛の職務の遂行ではあるのですが、その命令は、
検非違使の長官、検非違使別当藤原宗忠を無視し、白河院からの出たものでした。

このことが、検非違使庁を形骸化させ、院の私的な兵力、北面の武士の実力を充実させる
ことになりますが、その中心に正盛がありました。

そんな時に、仁和寺僧正領の九州肥前藤津荘で、なんらかの不手際から、荘司・平清澄が
解任され召喚されます。その子、直澄は藤津に残ると荘園の蔵米を、たびたび、盗むうえ、
新任荘司と、その家族を拉致監禁するという狼藉をはたらきます。

正盛は、直澄追捕の宣旨をうけると、「西海南海名士」(中右記・元永二年十二月二十七日)
を集合、派兵し、直澄の首をあげます。

正盛は、備前守受領、以来、積み上げた、「西海南海の名士」、つまり、瀬戸内から九州へ
わたる勢力との関係を集合して直澄を討ったのです。肥前は、その後の正盛子・忠盛、孫・
清盛を通じて平氏が九州へと進出する足がかりとなります。(つづく)

〜 参加者募集開始/主催:志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ・後援福岡市〜
カヌーで多々良大橋をくぐり抜け、河畔公園のサクラに「春」うらららら、、、、
3月26日(土)歴史とサクラの多々良川カヌートレイル・募集チラシページ
3月26日(土)歴史とサクラの多々良川カヌートレイル募集Facebookイベント


「乗換案内のジョルダン・花見特集2022」〜多々良川花見カヌートレイル〜
「ジモティー イベント・お祭り」〜 サクラと歴史の多々良川・カヌー花見トレイル〜
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名島神社一の鳥居沖

  


Posted by Frco.Don at 22:06Comments(0)たろうな日々

2022年01月20日

雪の上でたろうとテトとチチ/たろうの歴史小ばなし.筑前の平家と源氏.その1「清盛祖父」


チチとテトとたろう。釧路湿原の雪の上



ところで、たろうの歴史小ばなし、、、。筑前の平家と源氏、その1「清盛祖父・正盛の1」
〜 正盛、肥前の直澄討伐 〜

清盛の祖父・平正盛は、嘉承三年(一一〇八)一月十九日 。源義家の嫡男、頼朝の曽祖父
・源義親を滅ぼします。

義親は、従五位下に叙され対馬守に任じると、九州で濫行を働き、大宰大弐大江匡房より
告発をうけます。朝廷は、父陸奥守義家に義親召喚を命じます。義家は義親召喚の使者を
発しますが、こともあろうか使者が義親に同心してしまい、同道した役人を殺害してしまいます。

この事件によって義親は隠岐への流されるのですが、嘉承二年(1107)十二月。突如、
出雲国に現れ、出雲国守藤原家保の目代を殺害してしまいます。ここに、清盛祖父・平正盛に義親の
追悼の命が下ると、見事にその首を上げます(『中右記』同日条)。

こうしたことから、正盛は、白河院の覚えめでたく、但馬守を受任。一党中には過分の官職を
得る者もあり、伊勢平氏(以下、平家)の台頭がはじまります。一方、「武士之長者」(前同)
と称された先代義家はすでになく、義親が賊として誅された河内源氏(以下、源氏)は、頽落を
みせることになります。(つづく)



〜 参加者募集開始/主催:志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ・後援福岡市〜
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ヤンチャたろう画像・仲良しのタカちゃんと志賀島沖、、、、  


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2022年01月19日

櫛田神社.創建の謎.源頼朝と筑前住吉宮昌長・その5「櫛田神社が同時代史料に欠ける件」


テト。顔、キレてます、、、

さて、たろうの歴史小ばなし、、、。源頼朝と筑前住吉宮昌長・その5「櫛田神社が同時代史料に欠ける件」

昨日、平清盛の博多進出にともない創建されたといわれる博多の櫛田神社ですが、同時代史料に、
その社名を確認できないことについてふれました。
『平家物語』〜大宰府落ち〜中に、太宰府に亡命していた平家一門を、豊後の豪族・緒方維義が襲うというクダリ
があります。
維義に追われた一門は、「天満天神(安楽寺天満宮・現太宰府天満宮)の注連の辺を心細くも立ち別れ」ると、
山鹿秀遠の山鹿城(福岡県遠賀郡芦屋町)へと落ちていきます。その途上「住吉・箱(ママ)崎・香椎・宗像伏し拝」したと
いうのですが、なぜかここに、櫛田神社の名前が出て来ません。博多にあっては、櫛田神社は平家の氏神であるはずなのです、が。
九州大学服部英雄教授は「櫛田神社は神崎庄にも、また博多にも祀られていた。表玄関である博多と、裏玄関である神崎庄
の双方に、この神社は祭られたのである。神崎庄の櫛田社に関わる文献史料は、はやく大治元年(1126)の同社文書に登場するが、
博多の櫛田神社は永仁3年(1295)の同文書中に、また鎮西探題北条随時の再興を記す暦応3年(1340)の鐘銘など、鎌倉時代末期以後
を待なければ登場しない。 遡り、承和4年(847)、に円仁が博多に滞在し、各社寺で仏事法要を行った記録『入唐求法巡礼行記』
を遺すが、ここには、全く登場しない」(「日宋貿易の実態・諸国来着の異客たちと、チャイナタウン・唐房」)と、指摘されます。



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太郎、カヌーで生まれてはじめての釣果!  


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2022年01月18日

頼朝御家人筑前住吉宮の巻/たろうの歴史ばなし「源頼朝と筑前住吉宮・昌長の4」


雪原にテトとトテを休ませて、たろうは雪と遊んで、、、

さて、たろうの歴史小ばなし、、、。頼朝が山木判官の首を挙げて、、その4
山木判官邸襲撃が成功すると、頼朝は石橋山で平家側諸氏との合戦に挑むことになります、が、その妻北条政子は、
伊豆走湯山の文陽房覚淵の元に隠れます。昌長は、用心棒役で政子に従います。
ご存知のように、その後の歴史は、壇ノ浦に平家一門が沈み、不仲とった弟・義経を頼朝が奥羽・平泉に滅ぼすと、
建久3年(1192)7月には、征夷大将軍に任ぜられます。
『吾妻鏡』の翌建久3年4月11日条に、昌長とともに伊豆へ流されていた、住吉昌助が頼朝留守の御所を訪れ、
帰国の挨拶をおこなったことが記されています。
頼朝の挙兵草創期から、昌助・昌長兄弟が従った筑前住吉社は、鎌倉幕府開府後、「筑前における在地勢力
〜神官御家人〜として重きをなし、鎌倉後期には鎮西探題の奉行人とした活躍する」(川添昭二氏『中世九州の
政治と文化』)た、のだそうです。一方、平家縁者の所領となっていた、宗像・香椎・筥崎各社領は平家没官領
として幕府に召し上げられて、鎮西奉行・天野遠景の管理の下におかれます。
なお、櫛田神社の名が、「吾妻鏡」をはじめとした同時代史料中に現れれることがありません。櫛田神社は
平清盛の博多進出に関連して創建されたとも言われますが、実は、『平家物語』にも、その名が現れること
はないのです。(つづく)

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030926志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ
「志賀島綿津見三座カヌー巡拝」虎島上陸攻略記(福岡市後援)  


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2022年01月17日

〜たろう歴史小ばなし〜頼朝挙兵吉日を占う筑前住吉宮神官昌長3/挙兵、その後


テトとたろう。いよいよ雪の釧路湿原へ、太陽の道へ、、、

さて、たろうの歴史小ばなし、、、。頼朝挙兵の吉日を占う、筑前住吉宮・小大夫昌長の巻、その3
これまで物語しました頼朝と住吉小大夫昌長についての二回に重なる部分もありますが、以下、「吾妻鏡」中の記述に沿い
頼朝挙兵後までを追います。
兄昌助とともに筑前から伊豆へと流された昌長が、はじめて頼朝の引見を受けるのが治承4年(1180)7月23日。
8月6日。再び召された昌長は、17日寅卯の刻を以て、平家目代山木判官・平兼隆襲撃するのが吉と占います。
前日16日。昌長は、頼朝舅・北条時政邸での閻魔王の役人・冥官に祈るという天冑地府祭を斎行。戦勝を祈願します。祭後、頼朝は、
手づから神鏡をとり昌長に渡します。帰還は希まぬという覚悟を示したのでせう。翌17日、挙兵当日。間道をとるべきだと
時政が進言しますが、頼朝は、大業のはじめ、堂々と大路をとると応じると、「また住吉小大夫昌長(腹巻を着す)
を軍士に副えらる。これ御祈祷を致すに依ってなり。」と吾妻鏡はつづります。
ここで、吾妻鏡は昌長を「軍士(師)」と記しますが、現代でいう参謀とは異なります。「御祈祷を致すに依って」と、述べ
られるように、軍中の祈祷をおこなう者をいいました。戦国時代に下っても「軍士・軍師」は、戦場で占術・祈祷をつとめる者
を言います。(つづく)

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多々良川カヌートレイルの桜

  


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2022年01月14日

寒い夜はお風呂/空耳作品「ガッツだぜ!!」/名島城妙見島の小早川隆景と神屋宗湛

ウルフルズ「ガッツだぜ!!」は、KC&ザ・サンシャイン・バンドの「That's the Way (I Like It)』のサビ部分が「ガッツだぜ」と、聞こえてきたのを、テープに録音してふざけていた事がはじまりで出来た曲。つまり空耳から出来た曲と、トータス松本が NHKの番組で語っているのを聞き、妙に喜ぶチチうえ。不思議なチチの壺に気づく、今日の、たろう冠者でした。


さて、さて、多々良川小ばなし、その3「名島城・妙見島の茶会」
多々良川河口に浮かぶ海城・名島城の周囲が、現在のように埋め立てられる以前。潮が引けば道が現れて、渡れる沖合に妙見島が浮かんでいました。天正15年(1587)の豊臣秀吉による対島津九州平定戦後、筑前国守に据えられて名島城主となった小早川隆景は、その妙見島で、博多衆・豪商神屋宗湛とお茶をするのです。

その時の事は、「神屋宗湛茶湯日記」天正十六年二月二十五日条に、
名島城「御普請始也」とあり、隆景による名島城の近世城郭としての改修のはじまりを記すとともに、その陣中見舞いに、同三月六日、宗湛が島井宗室と連れ立ち、博多の銘酒として全国的に評判があった「白練酒」に重箱三重の肴を添えて妙見島を訪れ、茶を隆景と楽しんだ、と、、、、

名島城から妙見島(大正時代頃)/九州電力名島火力発電所と名島城跡の北に浮かぶ妙見島


カヌーで、名島城北側/名島神社一の鳥居を見ながら

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