2014年02月10日
野伏り姿の荒木村重/信長の太刀の切っ先の饅頭/利休十哲としての村重

2月9日の大河官兵衛で気になったのは荒木村重のことでした。
話しが初回の放映のことになりますが、野伏り然とした男として村重が登場し、
鉄砲を買い付けるために堺の街を目指す官兵衛主従と巡り会い、飯までおごっ
てもらうという場面が描かれていました。
動乱の戦国の世の断片を語る物語として、いかにもという感がありますし、面
白い設定なのですが、史実上の村重は摂津池田城主・荒木信濃守義村の息子で、
野伏り然とした姿で街道筋を歩いているような事は考えられません。
9日の放映では、諸将が見守る中、初めて拝謁を許した村重に対して、信長が
饅頭を串刺しにした太刀の切っ先を向けるという場面がありました。村重は向
けられた太刀の切っ先に口を持っていき、饅頭を喰い取ります。
饅頭であったかどうか、串刺しになっていたものは、魚であったような記憶も
あるのですが、信長が差し出した太刀の先きに串刺しにされたものを、村重が
喰いとったというのは事実としてあったらしく、その場に居合わせた複数の将
が日記などに書いていると司馬遼翁か歴史学者の小和田恒夫さんが、何かの本
に述べていたかと思います。
また、官兵衛主従を館に招いた村重が、茶を振る舞うという場面がありました。
村重は利休十哲の一人に数えられ茶道に通じていました。
一方、信長は家臣統率の一環として、茶の湯政道として、手柄のあった家臣に
対して名茶器を下賜するとともに、茶会を開く権利を与えるというこを行って
いました。
後には村重もその権利を信長から与えらることになるかと思いますが、村重が
信長臣従当初において、茶器を下賜され、茶会を開く権利を与えられていた将
は柴田勝家(姥口の釜/カッコ内は下賜された茶器)丹羽長秀(白雲の葉茶壺)
明智光秀(八重桜の葉茶壺)と羽柴秀吉(乙御前の釜)のみだったかと思いま
す。
物語としては、利休十哲に数えられる村重を語るのに、是非とも必要な一場面
でした。
Posted by Frco.Don at 21:39│Comments(0)
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