2014年06月25日
ローマ法王、欧州諸候に大陸進攻計画宣言の信長・秀吉
【軍師・黒田官兵衛百物語39話】
官兵衛の主、信長と秀吉の天下は大陸へと広がる
6月22日に放送された大河ドラマ「軍師官兵衛」の26回目では、天正十年(1582)の
新年を迎えた安土城へ拝賀の挨拶に訪れた、羽柴秀吉と官兵衛を相手に、織田信
長が地球儀を示しながら「余は天下布武を成し終えた後には、息子の信忠に、日本
国を譲り宣教師たちが来た道を逆にたどるつもりだ」と語る場面がありました。
本能寺の変で落命することになる直前の、その6月。信長は「毛利を平定し、日本六
十六ヶ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成してシナ(中国)を武略で征服
し、諸国を自らの子息たちに分け与える」と語ったと、宣教師ルイス・フロイスが当 時
の日本国内での出来事を書き留めた「日本史」に述べています。
大河ドラマでの信長の台詞は、海外へと目を向ける若々しい夢を語るものになってい
ますが、この「日本史」にある記述を元にしたもので、事実は大陸進攻の意図を述べ
たものでした。
秀吉もまた、信長の死後、天下人としての立場を確かなものにした、天正14年の3月
に大坂城を訪れたイエズス会日本管区副管区長のガスパル・コレリョに対して、
「日本全国を無事安穏に統治したく、それが実現したうえは、この国を弟の美濃殿(羽
柴秀長)に譲り、世は自ら専心し朝鮮とシナを征服することに従事したい」と、語ったと
同じく「日本史」にあります。
イエズス会の宣教師たちは、信長や秀吉の言動を観察し、公式の書簡に書きとめ、
ローマ法王庁へと報告していました。報告は法王を通じて、ヨーロッパ諸候へもうわさ
として広がっていました。
信長も秀吉も、己の意志がヨーロッパを中心とした世界に向けて伝えられることを知っ
て、宣教師たちを前に語っていたのです。二人は、世界の王・諸候に向けて大陸進攻
計画の実行を宣言していたのでした。
軍師・黒田官兵衛百物語

官兵衛の主、信長と秀吉の天下は大陸へと広がる
6月22日に放送された大河ドラマ「軍師官兵衛」の26回目では、天正十年(1582)の
新年を迎えた安土城へ拝賀の挨拶に訪れた、羽柴秀吉と官兵衛を相手に、織田信
長が地球儀を示しながら「余は天下布武を成し終えた後には、息子の信忠に、日本
国を譲り宣教師たちが来た道を逆にたどるつもりだ」と語る場面がありました。
本能寺の変で落命することになる直前の、その6月。信長は「毛利を平定し、日本六
十六ヶ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成してシナ(中国)を武略で征服
し、諸国を自らの子息たちに分け与える」と語ったと、宣教師ルイス・フロイスが当 時
の日本国内での出来事を書き留めた「日本史」に述べています。
大河ドラマでの信長の台詞は、海外へと目を向ける若々しい夢を語るものになってい
ますが、この「日本史」にある記述を元にしたもので、事実は大陸進攻の意図を述べ
たものでした。
秀吉もまた、信長の死後、天下人としての立場を確かなものにした、天正14年の3月
に大坂城を訪れたイエズス会日本管区副管区長のガスパル・コレリョに対して、
「日本全国を無事安穏に統治したく、それが実現したうえは、この国を弟の美濃殿(羽
柴秀長)に譲り、世は自ら専心し朝鮮とシナを征服することに従事したい」と、語ったと
同じく「日本史」にあります。
イエズス会の宣教師たちは、信長や秀吉の言動を観察し、公式の書簡に書きとめ、
ローマ法王庁へと報告していました。報告は法王を通じて、ヨーロッパ諸候へもうわさ
として広がっていました。
信長も秀吉も、己の意志がヨーロッパを中心とした世界に向けて伝えられることを知っ
て、宣教師たちを前に語っていたのです。二人は、世界の王・諸候に向けて大陸進攻
計画の実行を宣言していたのでした。
軍師・黒田官兵衛百物語

職隆墓石と重隆・明石女墓誌と孝高、重隆子・職隆養子説
島津征討・九州平定戦の黒田官兵衛と宗像一門「小倉攻め」
官兵衛、安国寺恵瓊を叱るの書状
官兵衛の土牢生活とは関係がなかった、しかも裏紋の黒田藤巴
官兵衛ではなかった高松城水攻案
高松城水攻めは官兵衛じゃなくて秀吉の思い付きだった
島津征討・九州平定戦の黒田官兵衛と宗像一門「小倉攻め」
官兵衛、安国寺恵瓊を叱るの書状
官兵衛の土牢生活とは関係がなかった、しかも裏紋の黒田藤巴
官兵衛ではなかった高松城水攻案
高松城水攻めは官兵衛じゃなくて秀吉の思い付きだった
Posted by Frco.Don at 16:15│Comments(0)
│シメオン官兵衛孝高