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Frco.Don
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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2014年06月22日

【軍師・黒田官兵衛百物語36回】岡田官兵衛の乗る馬の顔に白い斑紋にちょっと待った!

▶▷へえ!戦国時代にはいなかった!
▶▷岡田官兵衛の乗る馬の顔に白い斑紋にちょっと待った


軍師・黒田官兵衛百物語、全巻はこちら

ウマにも、乗り手に好事をもらす相を持つものと、災厄をもたらす悪相を持つものがいる
らしいのですが、官兵衛はあえて悪相のウマにの乗っていたという話しが「翁草」かなに
か、軍記ものにあったと覚えています。ウマについて述べると、意外に思われますが息子
の長政は戦場で二度も馬にかかわる失敗があり、騎乗が下手だったようです。

▶歴史マニアの岡田准一といえども知らなかった?

悪相のウマの話しと、長政の下手な馬術についての話しは、またの機会に譲りとして今
日は、NHK大河の岡田准一・官兵衛が股がっているウマの話しです。

准一・官兵衛が乗るウマの顔には目元から鼻先に白い線(流星などとその道ではいうの
ですが)が入っています。毎回のオープニングのタイトルバックで、准一・官兵衛は高原
状の台地を流星を顔に班下したウマで駆けています。

実は、これはありえないことで、毎回、気になってしかたありません。

▶小回りのきく在来馬の顔と足に白い斑紋なし

在来馬といわれる、当時の侍が騎乗していた列島のウマには顔面や脚部に白い斑紋が
入ったものはいませんでした。准一・官兵衛が股がっているウマは、多分、サラブレットな
どの軽種とされる種類のウマですが、体高についても当時のウマは軽種馬よりも10セン
チから20センチは低い小柄なものでした。小柄で機敏な動きがとれ、戦場では精悍な
活躍が期待できたのです。

かつて戦陣で侍を背にしていた8種の列島固有のウマが、現在でも全国に8 ヶ所で飼育
あるいは半野生の状態で保護されていますが、いずれも顔や脚への白斑はありません。

ドラマでの話しですから、まあ、いいのですが、ちょっと気になる大河・官兵衛の話しでした。

【軍師・黒田官兵衛百物語36回】岡田官兵衛の乗る馬の顔に白い斑紋にちょっと待った!



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