2022年01月16日
〜たろう歴史小ばなし〜頼朝挙兵吉日を占う筑前住吉宮神官昌長/平家と対立する筑前住吉宮〜

雪の釧路湿原へ。出発前の牧場で。インストラクターの大久保さんと、、、
昨日の続編、たろうの歴史小ばなし、、、。頼朝挙兵の吉日を占う、筑前住吉宮・小大夫昌長の巻、その2
治承四年(1180)8月17日に源頼朝は、伊豆平家目代・平兼隆邸を襲い首をあげるのですが、その日を決行の吉日と占うのが
筑前住吉宮神官・住吉小大夫昌長でした。なぜ、筑前住の神官昌長が、遠く、伊豆での頼朝挙兵に立ち合い、挙兵の日取りを
占い、戦勝祈願までおこなうことになるのか。昌長は、伊豆へ流されていたのです。
保元三年(1158)八月。平清盛が大宰大弐に任官します。以降、平家は筑前そして、博多の権益掌握に動きます。筑前の
北部を貫流し博多へと流れ下る那珂川上流、岩門城(福岡県那珂川市安徳)の原田種直が目代(代官)に任じられますが、
那珂川流域から河口にかけて筑前住吉宮は社領を有していました。種直は当然のように、その掌握にかかったと考えられます。
住吉宮はまた、対宋、対鮮交易に当たっていましたが、対外交易独占という清盛の意を介して、ここにも、種直は介入したと
推測されます。筑前他の神社、香椎宮・筥崎宮・宗像社・安楽寺太宰府社はいずれも平家の保護のもとにありましたが、ひとり
住吉宮は、対立していたのです。
それら対立の結果として、「吾妻鏡」は、「佐伯の昌助と云う者有り。これ筑前の国住吉社の神官なり。去年五月三日伊豆の国に配流す。
是より先同祠官昌守、治承二年正月三日当国に配すと。而るに彼の昌助弟住吉小大夫昌長、初めて武衛に参る」と、記し、住吉昌助・
昌長兄弟が伊豆へ流されて、昌長が武衛、つまり、源頼朝にはじめて召された事を記します。その3へつづく、、、、

「博多往古図」福岡県立図書館/大田資料552号
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名島橋・JR・西鉄橋梁南側