2022年01月20日
「雪の釧路湿原でお弁当」今日の一枚/筑前の平家と源氏、その2「清盛祖父・正盛の2」
雪の釧路湿原・たとうとテトのトレッキング・今日の一枚
//釧路湿原松島岬で雪の上のお弁当//
さてさて、たろうの歴史小ばなし、、、。
筑前の平家と源氏、その2「清盛祖父・正盛の2」
〜 正盛の肥前の直澄討伐 〜
清盛の祖父・平正盛により、武家の棟梁とされた、源義家の長子・義親が打たれると、
源氏は衰退をみせます。一方、正盛は、白河院の引き立てにより検非違使職にあてら
れるなど出世し、平氏は隆盛をみます。
永久元年(天永四年七月改元/1113)。白河院による興福寺末寺・清水寺への人事の
介入が、興福寺、延暦寺間に対立を招き、洛中に騒乱をよびます。永久の強訴事件です。
検非違使職にあった正盛は、両寺の強訴に対して果敢な対応をみせ、備前守に遷任されます。
強訴への対応は検非違使職にあった正盛の職務の遂行ではあるのですが、その命令は、
検非違使の長官、検非違使別当藤原宗忠を無視し、白河院からの出たものでした。
このことが、検非違使庁を形骸化させ、院の私的な兵力、北面の武士の実力を充実させる
ことになりますが、その中心に正盛がありました。
そんな時に、仁和寺僧正領の九州肥前藤津荘で、なんらかの不手際から、荘司・平清澄が
解任され召喚されます。その子、直澄は藤津に残ると荘園の蔵米を、たびたび、盗むうえ、
新任荘司と、その家族を拉致監禁するという狼藉をはたらきます。
正盛は、直澄追捕の宣旨をうけると、「西海南海名士」(中右記・元永二年十二月二十七日)
を集合、派兵し、直澄の首をあげます。
正盛は、備前守受領、以来、積み上げた、「西海南海の名士」、つまり、瀬戸内から九州へ
わたる勢力との関係を集合して直澄を討ったのです。肥前は、その後の正盛子・忠盛、孫・
清盛を通じて平氏が九州へと進出する足がかりとなります。(つづく)
〜 参加者募集開始/主催:志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ・後援福岡市〜
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3月26日(土)歴史とサクラの多々良川カヌートレイル・募集チラシページ
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名島神社一の鳥居沖
2022年01月20日
雪の上でたろうとテトとチチ/たろうの歴史小ばなし.筑前の平家と源氏.その1「清盛祖父」
チチとテトとたろう。釧路湿原の雪の上
ところで、たろうの歴史小ばなし、、、。筑前の平家と源氏、その1「清盛祖父・正盛の1」
〜 正盛、肥前の直澄討伐 〜
清盛の祖父・平正盛は、嘉承三年(一一〇八)一月十九日 。源義家の嫡男、頼朝の曽祖父
・源義親を滅ぼします。
義親は、従五位下に叙され対馬守に任じると、九州で濫行を働き、大宰大弐大江匡房より
告発をうけます。朝廷は、父陸奥守義家に義親召喚を命じます。義家は義親召喚の使者を
発しますが、こともあろうか使者が義親に同心してしまい、同道した役人を殺害してしまいます。
この事件によって義親は隠岐への流されるのですが、嘉承二年(1107)十二月。突如、
出雲国に現れ、出雲国守藤原家保の目代を殺害してしまいます。ここに、清盛祖父・平正盛に義親の
追悼の命が下ると、見事にその首を上げます(『中右記』同日条)。
こうしたことから、正盛は、白河院の覚えめでたく、但馬守を受任。一党中には過分の官職を
得る者もあり、伊勢平氏(以下、平家)の台頭がはじまります。一方、「武士之長者」(前同)
と称された先代義家はすでになく、義親が賊として誅された河内源氏(以下、源氏)は、頽落を
みせることになります。(つづく)
〜 参加者募集開始/主催:志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ・後援福岡市〜
カヌーで多々良大橋をくぐり抜け、河畔公園のサクラに「春」うらららら、、、、
3月26日(土)歴史とサクラの多々良川カヌートレイル・募集チラシページ
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ヤンチャたろう画像・仲良しのタカちゃんと志賀島沖、、、、