2017年01月22日
【黒田官兵衛孝高は、晩年を津屋崎で過ごした、と、いう話】
黒田家が筑前へ入った後。官兵衛孝高は太宰府の隠居屋で暮らしたと伝説的に言われていますが、
逝去する慶長八年三月までの三年間のうち、半分は京都におりました。
筑前へ戻ったあいだは、そのほとんどを津屋崎を中心とした宗像郡で過ごしたと思われます。
黒田筑前入部後の官兵衛書状は、太宰府に伝わるものは十通。津屋崎を中心とした宗像郡関連の
書状は三十通を超えています。
筑前国続風土記など地誌類への官兵衛に関わる記述をくわえると宗像郡関連の項目は四十を超え
ます。
福岡市博物館新収蔵の官兵衛の書状の一通を紹介します。津屋崎郷中宛です。今でいえば津屋崎
町内会宛と云うところです。
黒田水軍の長、松本勝重と、おなじく水軍の将・高原次郎兵衛を津屋崎に配するために、その居
宅を用意して欲しいという内容です。

【津屋崎港停泊の海保艇】
LS型(15メートル型)灯台見回り船
・全長 15.0メートル
・最大幅 4.2メートル
・総トン数 17トン
LSとは/「Light-House Service Vessel Small」の略
50トン型未満のもの
『H29.2市長選挙・福津未来会議』
https://www.facebook.com/groups/fukutu
★はらさきともひとHP
http://harasaki.jp/
逝去する慶長八年三月までの三年間のうち、半分は京都におりました。
筑前へ戻ったあいだは、そのほとんどを津屋崎を中心とした宗像郡で過ごしたと思われます。
黒田筑前入部後の官兵衛書状は、太宰府に伝わるものは十通。津屋崎を中心とした宗像郡関連の
書状は三十通を超えています。
筑前国続風土記など地誌類への官兵衛に関わる記述をくわえると宗像郡関連の項目は四十を超え
ます。
福岡市博物館新収蔵の官兵衛の書状の一通を紹介します。津屋崎郷中宛です。今でいえば津屋崎
町内会宛と云うところです。
黒田水軍の長、松本勝重と、おなじく水軍の将・高原次郎兵衛を津屋崎に配するために、その居
宅を用意して欲しいという内容です。

【津屋崎港停泊の海保艇】
LS型(15メートル型)灯台見回り船
・全長 15.0メートル
・最大幅 4.2メートル
・総トン数 17トン
LSとは/「Light-House Service Vessel Small」の略
50トン型未満のもの
『H29.2市長選挙・福津未来会議』
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http://harasaki.jp/