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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2023年10月18日

歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」

  令和五年10月14日(土)博多区役所1F集合

【博多南堀(房州堀)界隈】
→まずは、博多署駐車場横・藤田公園北口で辻説法
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」

博多署から祇園町交差点、そして御笠川へと通る博多南堀(房州堀)。博多の南の守りとして黒田長政が整備。通りの北むかい、万行寺の塀の下にのぞく石垣は博多南堀の痕跡だという。堀をわたり南から博多へ入る関門は二ヶ所。西側、現在の福岡商工会議所ビル辺りに「矢倉門」。若八幡宮辺りに「辻堂口」があった。黒田孝高が招いた鷹匠が住んだという鷹匠町跡でもあったり、この辺りについては、しゃべりだすと忙しい。博多千年門は復元辻堂口門だそう、、、
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」

【下照姫神社】→江戸時代「吉聖女社」とよばれた下照姫神社は、筑前入部後、黒田長政が博多津中南西部に瓦町を建て、入植する黒田系商人の産土神として、博多郊外から遷座させたよし。博多南堀が那珂川につながる角地という博多津中の守りの要衝へ坐しまされる。住吉神社境外末社で、祭神は下照姫(大国主・宗像タギツ姫の子)・玉津島神(衣通姫・允恭天皇妃)・味耜高彦根(下照姫兄)。
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」
「福岡城下町・博多・近隣古図」19C初頭・九州大学蔵より一部/長政新建設の瓦町。その南、那珂川と博多南堀結節点に鎮座する下照姫神社
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下照姫神社境内。裏は貝原益軒のご子孫のお宅

【旧福岡県公会堂・貴賓館】
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」
→明治45年1912.3月、亡命中の孫文が演説をおこなった旧福岡県公会堂・貴賓館。その、ちょうど一年前、明治44年1911.3月25日、同館裏手の松浦病院の一室で青木繁は、闘病生活の末、短い人生を閉じるのでした

【マリリンモンローと国際ホテルとロイヤル花の木】
→公会堂から中洲方面を振り返ると、この日の講演会場、アクア博多ビルが。かつての日活ビルで、その左隣の国際ホテルに、昭和29年1954.2月、世界一周新婚旅行中のマリリン・モンロー・ジョー・ディマジオ夫妻が宿泊。モーニングは、明治通りをわたり、現在のエクセルホテル博多東急の位置にあったレストランロイヤル1号店「花の木」で。モンローは、毎朝、お気に入りのオニオンスープでご機嫌だったそう。ふたりは二泊三日を福岡で過ごしたらしい。
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」
振り返ればアクア博多ビル。C会議室が講演会場
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」

【福岡城東取入口・升形門.高石垣.水鏡天満宮.勝立寺】
→アクロス薬院新川沿い遊歩道脇に残される石垣は、現在の橋口、西中島橋を福岡側にわるところに築かれた、櫓をのせる東取入口・升形門を中心にH3メートルの塀をのせたH8メートルの高石垣の跡。南は福岡城から伸びてきた外堀が薬院新川へつながる現在の国体道路あたり。北は、薬院新川が那珂川に合流して博多湾まで。升形門の背後には水鏡天満宮勝立寺の境内が囲むのです。それは、一群の要塞をみるよう。
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」
アクロス下、高石垣跡、、
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」
奥村玉蘭・筑前名所図会「水鏡天神」(水鏡天満宮)/手前にみえる本殿の奥に升形門を形成する豪壮な石垣がスケッチされております、る。
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」
古写真/中洲側からみた東取入口・升形門・西中島橋と高石垣。現在は赤煉瓦館がみえております
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」
天神ビックバンで水鏡天満宮は薬院新川・那珂川合流点沿いに2030年以降、ご遷座予定

【福岡藩精錬所跡碑】
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」
→現在は歓楽街の真ん中。当時は未開発の中洲に、現在でいえば理化学研究所に例えられる福岡藩精錬所が建設され、産業振興のための研究が行われるのです

【中洲国広稲荷】
→産業振興の一環で福岡藩が、未開地の中洲を歓楽の場として開発をはじめると、氏神として国広稲荷社が創建
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」
そして、社殿は、ビルの谷間、、

【鏡天満宮】
→お稲荷さんの谷をぬけて、博多川をわたると、リバレイン横の鏡天満宮。菅原道真が、左遷の長旅の末の舟掛かりの地・博多の浜辺でやつれた顔を写したという鏡が御神体
歴史遠足:下照姫社〜綱敷社:講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建のワケ」

【綱敷天満宮】
→綱場町に鎮座する綱敷天満宮。中世、大陸系貿易商は綱首とよばれたのです。綱敷天満宮鎮座の町・綱場の「綱」は綱首からくるもので、綱場は、綱首の場をいうのだという説があるわけです、、

参加者の大穂さん。拝殿前で能菅奉納
歴史遠足:レジュメ

→さて、いそいそと、講演会場のアクア博多ビルへ、、
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講演「慶長5年筑前入部の長政と二代忠之の神社分祠・遷座・創建」レジュメ



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