2013年10月23日
▶▷ 筑前福岡藩黒田家 菓子御用「松屋利右衛門」その二
昨夜につづいて二回目。福岡藩黒田家の菓子御用「松屋利右衛門」さんの話し。筑前續風土記、博多津要録など、
筑前博多の江戸時代を知る上で重要な歴史史料中に十数ヶ所、その屋号が見えます。
《以下、本文》
「鶏卵素麺」の国内での製造の始まりについては、宮本又次氏の指摘よりも古く、本編にふれたように西暦
一六〇〇年以前に西九州のいずれかのキリスト教修道院で成立したと考えられる「南蛮料理書」に、その製法が
記されていることから、戦国時代末期まで遡ると考えられる。
「鶏卵素麺」は、戦国時代にヨーロッパからやってきた、宣教師達が伝えた南蛮菓子なのだ。
現在のスペイン南部の都市・セビリアのサン・レアンドロ修道院の聖週間には、修道女達の手によって作られ
た「天使の髪」という意味合いのイェマ(Yema)という菓子がふるまわれる。このイェマこそ、鶏卵素麺の源
流だとされている。ポルトガルでは、「鶏卵素麺」と変わらぬ「「フィオス・デ・オヴォシュ・fios de ovos・
卵の糸」という名の菓子が、街の菓子屋の店先に並んでもいる。
かつてポルトガル領であったマカオやメキシコには、同類の菓子が点々と残り、古く、東西の交易拠点であっ
たタイには「フォイ・トーン・foi thong・金の糸」という、「鶏卵素麺」と起源を同じくすると思われる菓子が、
やはり、みられる。
その製法を伝えるものとしては南蛮料理書のほか、刊行本の料理書では国内最古の書だとされる寛永二十年
(一六四三)に発刊された「料理物語」、元禄二年(一六八九)刊 の『合類日用料理抄』、幕末、奥向に仕えた
福岡藩士による食材や調理などの記録「萬菓子作様并香物漬様薬酒造様之事」(福岡県地域史研究所蔵)などに
みられる。
地誌上の記録としては、筑前國續風土記、筑前國續風土記付録、石城志などによって、製造されるに至った由
来や、菓子としての評判などを知ることができる。また、大賀氏家伝には、藩主御成の際に献上された記録があ
る。なお、地誌などでふれられる「鶏卵素麺」については本編に詳細を述べた。
(つづく)
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