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Frco.Don
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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2014年06月24日

官兵衛の孫は荒木村重のおいっ子に馬術を習っていた!

官兵衛の孫は荒木村重のおいっ子に馬術を習っていた!【軍師・黒田官兵衛百物語38話】

軍師・黒田官兵衛百物語

前回、長政は意外にも乗馬が得意ではなかったと言う話しにつづけて、今日は、官兵衛の
愛馬は凶事をもたらす凶相だったという、江戸時代中期に成立した逸話集「常山紀談」にあ
る話しを紹介します。

●官兵衛はクリスチャンだから迷信を信じない?

ウマは体のあちらこちらに旋毛(つむじ)を見せていることがあるのですが、特に、頭部に旋
毛があるのは凶相だという迷信が古くはありました。官兵衛が乗っていたウマがまさに、そ
れだったのです。

しかし、官兵衛は、そのことについて人から聞かれると、「人間は万物の霊長だという、その
人間の運がウマの毛並みなどに左右されるものではない」と答えていたといいます。

「万物の霊長」という語は、中国の古典「書経」にあるものですが、迷信を気にしない官兵衛
のこうした姿勢は、キリスト教への信仰と関わりがあったものかもしれません。
人間以外の生物に霊性を認めないという、キリスト教の教理を根拠にしたもののように思わ
れます。

●家康がほめた孫の馬術

さて、変って官兵衛の孫・忠之、のちの福岡藩二代は乗馬の名手だったという話しがありま
す。

忠之は、14歳になった元和元年(1615)に、京都で、徳川家康と将軍秀忠に馬術を披露す
るということがありました。

この時、家康は忠之の見事な手綱さばきに感心し、誰に習ったのかと聞きます。

忠之の馬術の師は、信長に対して反旗を翻した際に、官兵衛を有岡城の土牢に幽閉のし
た荒木村重の甥にあたる、荒木十左衛門元満でした。

元満は村重の信長に対する謀反には加担しなかったものの、あおりを喰う形で父親と共に
浪人していたところを、縁があって黒田家に拾われ家臣となっていたのです。
 
その後、元満は、家康に請われて徳川直臣となります。
忠之を乗馬の名手に育てた技量を家康から買われたわけです。
江戸時代初期。現代などよりも、人材の流通がずっと自由に行われていたようです。


  


Posted by Frco.Don at 19:35Comments(0)シメオン官兵衛孝高