2022年01月07日
カヌーから名島橋/小早川隆景の多々良川架橋/3.26多々良川カヌーで花見案内
江戸時代。多々良川最下流の橋は、現在の原田、津屋辺り。ここから合流した多々良川と宇美川おおきな入江を形成していました。
江戸時代初期に著された『豊前覚書』(文献出版p59)。また、朝鮮出兵を翌春にひかえた天正19年12月27日付の、当時、
名島城主であり筑前国を預かっていた小早川隆景宛書状で豊臣秀吉は、多々良川への架橋を命じています。(下記参照)
この時の架橋は、やはり、原田、津屋辺りにおこなわれたものと思われます。
現在の位置への架橋は、国道3号道路橋・昭和8年(1933)/R九州名島鉄橋・当時の九州鉄道橋梁・明治24年(1891)/
西鉄名島橋梁は大正12年(1923)。なお、3号道路橋と西鉄橋梁はA級近代土木遺産に指定だそうです。
【秀吉.天正19年12月27日付小早川隆景宛朱印状・『豊臣秀吉文書集』3862(名古屋市博刊)】
筑前多々良川ニ橋可懸之用意由、加藤主計頭、黒田甲斐守、毛利壱岐守申候。川面間違不及橋所候条、無用候、殊更方々普請等
彼是不可有手透候間、橋之儀可被相止候。猶右両三人山中橘内(長俊)可申候也
極月廿七日 秀吉朱印 羽柴筑前侍従殿

カヌーから見上げる名島西鉄橋梁と3号線道路橋
サクラ満開の頃、名島海岸・名島神社一の鳥居からカヌーで出て、名島橋を見上げて花見!
参加者募集開始/先着順(午後の部残8名)
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この時の架橋は、やはり、原田、津屋辺りにおこなわれたものと思われます。
現在の位置への架橋は、国道3号道路橋・昭和8年(1933)/R九州名島鉄橋・当時の九州鉄道橋梁・明治24年(1891)/
西鉄名島橋梁は大正12年(1923)。なお、3号道路橋と西鉄橋梁はA級近代土木遺産に指定だそうです。
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彼是不可有手透候間、橋之儀可被相止候。猶右両三人山中橘内(長俊)可申候也
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Posted by Frco.Don at 12:10│Comments(0)
│志賀島.多々良カヤックトレイル