2013年07月09日
「黒田官兵衛孝高如水」という名前
「黒田家譜」中に、「孝高は、我名代として諸将の命令をつかさどり、軍法を正しく合戦なさしむべしと仰せ付けられ、孝高を軍奉行として豊前へ指し下さる」と秀吉の命により、九州一円で勢力を伸ばす、島津氏征討のための毛利・吉川・小早川軍の軍監として官兵衛孝高が豊前へと下ったことが記されています。
この記述の部分には続けて少しあって、「孝高此比勘解由次官に任じられる。是より先き既に小寺姓を改めて、本性を黒田を称し給まう」とあり、地方の監督を職掌とする、「勘解由」という、九州地方平定の総監に任じられた立場にはうってつけの官名を関白秀吉から下賜されると同時に「黒田官兵衛孝高」という名が成立したことを語っています。
この時まで官兵衛はか播州姫路のつての主であった小寺氏の姓を名乗っていました。
九州の大藩・福岡藩の藩主としての氏姓黒田は、やはり九州との大きな関わりの縁で成ったというわけです。
天正十七年(1589)には出家し「如水」との号も得ます。官兵衛は、京都大徳寺の春屋国師を参禅の師としていたとも云われていますが、「如水・ジョスイ」は聖書で活躍するモーゼの後継者「ヨシュア」のスペイン語読みに音が通じているという指摘があります。
キリスト教の典礼で葬儀を行うよう遺言をのこしたほどの官兵衛のことです。その名に信仰を忍ばせていたのでは、という推測は許されるかもしれません。

※画像は黒田家菩提寺・崇福寺塔頭「宗心庵」仏殿
この記述の部分には続けて少しあって、「孝高此比勘解由次官に任じられる。是より先き既に小寺姓を改めて、本性を黒田を称し給まう」とあり、地方の監督を職掌とする、「勘解由」という、九州地方平定の総監に任じられた立場にはうってつけの官名を関白秀吉から下賜されると同時に「黒田官兵衛孝高」という名が成立したことを語っています。
この時まで官兵衛はか播州姫路のつての主であった小寺氏の姓を名乗っていました。
九州の大藩・福岡藩の藩主としての氏姓黒田は、やはり九州との大きな関わりの縁で成ったというわけです。
天正十七年(1589)には出家し「如水」との号も得ます。官兵衛は、京都大徳寺の春屋国師を参禅の師としていたとも云われていますが、「如水・ジョスイ」は聖書で活躍するモーゼの後継者「ヨシュア」のスペイン語読みに音が通じているという指摘があります。
キリスト教の典礼で葬儀を行うよう遺言をのこしたほどの官兵衛のことです。その名に信仰を忍ばせていたのでは、という推測は許されるかもしれません。

※画像は黒田家菩提寺・崇福寺塔頭「宗心庵」仏殿
Posted by Frco.Don at
21:18
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