2010年12月02日
太郎の荒津山戦記/福岡教育大付属小学校受験記1.受験日の正門
平成21年1月12日、午前8時過ぎ。
太郎と奥様の福子さん、そして私の三人は、福岡市中央区西公園近くのコインパーキングにマイカーを駐め、福岡教育大学附属福岡小学校の正門前まで2.3分の道のりを歩いた。略称福教大附属小。その後背を覆う、西公園の森は旧称でいえば荒津山。頂きには筑前藩祖・黒田官兵衛如水と初代藩主・その子・黒田長政を祀る光雲神社が座します。快晴の陽射しを浴びてまぶしく光る、冬焼けした荒津山の杉木立を見上げる、この校庭で太郎の決戦ははじまる。荒津山の戦いだ。
乾燥した冬の風が、手肌を刺して吹いていくなか、太郎は奥様と私の前をはずむように歩きながら、そこらに駐っているクルマを見つけて、メーカーと車種名を説明したりしている。男の子は、クルマに興味を持つものだが、太郎のそれは異常なくらいで、3歳の頃から、通行するクルマのエンブレムを見て、メーカーを言い分けるなどと云う芸当を、いつ、どこから覚えてきたものか、かってにやっていた。
正門前にたどりつくと、門正面の左右を中年、初老、壮年、男女とそろって、受験場がある校庭へむかう子どもたちをむかえている人たちがいた。まさか、附属小の先生たちがむかえているということもないだろうと思っていたら、どうやら、受験塾の先生たちが、自分の塾の子と連れ立ってやってくる親を見つけて励ましているらしい。

福岡教育大学附属福岡小学校の入試合格者発表の様子/同校小学校舎正面
「がんばってね」「いつも通りにやればだいじょうだよ」と手をとったり、ひざまづいて笑顔で子どもの顔をのぞきこみ、声をかけたりの塾の先生たちに対して、受験場にむかう親子の方は、みんなそぞろな顔で、校庭の先に視線がむいているようだった。受験会場のほうが気になり、激励に応える余裕などないのかもしれない。
私たちはといえば、ハナ歌まじりの太郎を横に、奥様が興味深げに校庭内側をのぞいている。
奥様は、この時がはじめて附属小までやってきたのだった。
「すぐそこに見える、グラウンドの端の藤棚は黒田官兵衛如水公ゆかりのもの」「右に見えているのが中学生の校舎。太郎も合格すれば中学生になった時にはあそこで勉強することになるよ。付属小学校と付属中学校が併設されているんだ」などと私がウンチクをたれるのを聞き終えると、奥様は職場へ。
太郎の教育のことは、専業主夫の私の勤めとわが家では決まっている。
お受験のつきそいも許されるのは一人だけだ。
ちなみに奥様の勤めは、福岡市のホームレス対策施設の委託管理をおこなっているNPOの副理事長。ホームレス対策では、県下のパイオニアといえるこのNPOの職員の待遇は市職員に準じたものがある。私が専業主夫でいられるのも、この待遇のおかげだ。
いよいよ、今日の御大将である太郎と二人して正門をくぐり、受験会場へと。
校舎の壁にかかる時計は8時14分を指している。
奥様に説明したように、校庭の右側は中学生たちの校舎だ。小学校の校舎はその反対側で、グランドの奥に体育館と並んで建っている。
中学校舎と、小学校舎をわけるソテツが植栽されたロータリーまで進むと、中学校舎側から、あわてて戻ってくるお父さんと男の子がいた。ロータリーの左側に目をやれば、小学校舎側に「受験会場」の案内板が立っている。二人は、この案内板を見落としてのだろう。とにかく、みんな、緊張している。

付属小学校正門通路
去年の一年のうち、約半年間の時間を、私と太郎は福岡教育大学附属福岡小学校受験の準備で共有し、過ごしました。
受験日当日の私は、父兄の控えの場であった体育館で、太郎をはじめ子どもたちが試験会場の教室に行っているあいだ、周りの父兄の様子や、受験の経過を大学ノートにメモしていました。
これらを、いつか、文章にまとめておきたいと思っていたところです。
記憶に間違いがなければ、12月の今頃は、附属福岡小の入試説明会が終わってひと月ほどかと思います。
大学ノートのページにして14ページほどの受験日当日のメモを中心において、駄文となってしまうことでしょうが、この機会まとめてみます。
(つづく)
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太郎と奥様の福子さん、そして私の三人は、福岡市中央区西公園近くのコインパーキングにマイカーを駐め、福岡教育大学附属福岡小学校の正門前まで2.3分の道のりを歩いた。略称福教大附属小。その後背を覆う、西公園の森は旧称でいえば荒津山。頂きには筑前藩祖・黒田官兵衛如水と初代藩主・その子・黒田長政を祀る光雲神社が座します。快晴の陽射しを浴びてまぶしく光る、冬焼けした荒津山の杉木立を見上げる、この校庭で太郎の決戦ははじまる。荒津山の戦いだ。
乾燥した冬の風が、手肌を刺して吹いていくなか、太郎は奥様と私の前をはずむように歩きながら、そこらに駐っているクルマを見つけて、メーカーと車種名を説明したりしている。男の子は、クルマに興味を持つものだが、太郎のそれは異常なくらいで、3歳の頃から、通行するクルマのエンブレムを見て、メーカーを言い分けるなどと云う芸当を、いつ、どこから覚えてきたものか、かってにやっていた。
正門前にたどりつくと、門正面の左右を中年、初老、壮年、男女とそろって、受験場がある校庭へむかう子どもたちをむかえている人たちがいた。まさか、附属小の先生たちがむかえているということもないだろうと思っていたら、どうやら、受験塾の先生たちが、自分の塾の子と連れ立ってやってくる親を見つけて励ましているらしい。

福岡教育大学附属福岡小学校の入試合格者発表の様子/同校小学校舎正面
「がんばってね」「いつも通りにやればだいじょうだよ」と手をとったり、ひざまづいて笑顔で子どもの顔をのぞきこみ、声をかけたりの塾の先生たちに対して、受験場にむかう親子の方は、みんなそぞろな顔で、校庭の先に視線がむいているようだった。受験会場のほうが気になり、激励に応える余裕などないのかもしれない。
私たちはといえば、ハナ歌まじりの太郎を横に、奥様が興味深げに校庭内側をのぞいている。
奥様は、この時がはじめて附属小までやってきたのだった。
「すぐそこに見える、グラウンドの端の藤棚は黒田官兵衛如水公ゆかりのもの」「右に見えているのが中学生の校舎。太郎も合格すれば中学生になった時にはあそこで勉強することになるよ。付属小学校と付属中学校が併設されているんだ」などと私がウンチクをたれるのを聞き終えると、奥様は職場へ。
太郎の教育のことは、専業主夫の私の勤めとわが家では決まっている。
お受験のつきそいも許されるのは一人だけだ。
ちなみに奥様の勤めは、福岡市のホームレス対策施設の委託管理をおこなっているNPOの副理事長。ホームレス対策では、県下のパイオニアといえるこのNPOの職員の待遇は市職員に準じたものがある。私が専業主夫でいられるのも、この待遇のおかげだ。
いよいよ、今日の御大将である太郎と二人して正門をくぐり、受験会場へと。
校舎の壁にかかる時計は8時14分を指している。
奥様に説明したように、校庭の右側は中学生たちの校舎だ。小学校の校舎はその反対側で、グランドの奥に体育館と並んで建っている。
中学校舎と、小学校舎をわけるソテツが植栽されたロータリーまで進むと、中学校舎側から、あわてて戻ってくるお父さんと男の子がいた。ロータリーの左側に目をやれば、小学校舎側に「受験会場」の案内板が立っている。二人は、この案内板を見落としてのだろう。とにかく、みんな、緊張している。

付属小学校正門通路
去年の一年のうち、約半年間の時間を、私と太郎は福岡教育大学附属福岡小学校受験の準備で共有し、過ごしました。
受験日当日の私は、父兄の控えの場であった体育館で、太郎をはじめ子どもたちが試験会場の教室に行っているあいだ、周りの父兄の様子や、受験の経過を大学ノートにメモしていました。
これらを、いつか、文章にまとめておきたいと思っていたところです。
記憶に間違いがなければ、12月の今頃は、附属福岡小の入試説明会が終わってひと月ほどかと思います。
大学ノートのページにして14ページほどの受験日当日のメモを中心において、駄文となってしまうことでしょうが、この機会まとめてみます。
(つづく)

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Posted by Frco.Don at
06:43
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