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Frco.Don
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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2013年04月20日

神屋宗湛が石田三成の給仕で食べた秀吉のお膳

神屋宗湛の「茶の湯日記」は冒頭、島津氏征討軍が興される前年の年の暮れに、秀吉に呼ばれて上阪するところから書き起されている。
年が変わって、正月三日に大阪城の広間に宗湛は上がる。


《奥村玉蘭/筑前名所図絵・妙楽寺》

利休との間で初対面の挨拶を交し、当代を代表する商人であり茶人であった津田宗及などの堺衆の五、六人と控えの間にいると石田治部少輔三成がやってきて宗湛だけを呼び出し、その日に用意された丁度品などを見せようと案内する。

いよいよお目見えということで、広間に出て来た秀吉は「筑紫の坊主はどれぞ」と初対面にも関わらず親し気に宗湛のことを呼ぶ。この時、宗湛は剃髪頭であった。

諸候、堺衆などが後ろに控える中、宗湛は秀吉と向き合う正面の座にすえられ、三成の給仕で食事となる。茶になり、秀吉が諸候・堺衆に対して人数が多い事から三人一組で飲めというのに、宗湛には一人、たっぷり飲ませよといい、利休に茶を点てさせた。宗湛は、この時の利休の手前を「、井戸茶碗に「ぬるくたてられて候」と書き留めている。


《妙楽寺鐘樓》

島津征討と、既に頭にあった、その後の朝鮮出兵計画における兵站基地としての、博多の重要性をにらんでの、宗湛への破格の扱いだった。

この席に用意された献立は、鮭の焼き物、鮭のナマス、柚をからめた大根、ハラ子、汁、めし、酒 一献だった。
そして、菓子は、打栗、扇形で白青と色づけされた「仙煎」、イリカヤと宗湛は書き留めている。





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Posted by Frco.Don at 16:21Comments(0)新・太宰管内史