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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2013年10月22日

筑前福岡藩黒田家 菓子御用「松屋利右衛門」その一

▶▷ 筑前福岡藩黒田家 菓子御用「松屋利右衛門」その一

今日から、「筑前國菓子風土記 附録・歴史史料中の松屋利右衛門」を数回にわけてリリースします。

現存する
福岡・博多の菓子店中。歴史史料から江戸時代の創業を確認できるのは松屋利右衛門さんのみです。

福岡藩黒田家の菓子御用を勤めていたのも、もちろん松屋利右衛門さんです。

【以下本文】

江戸時代後期に差しかかる頃、九州の旧都・太宰府に居を構えていた文人・奥村玉瀾は、自らの挿
画を附した地誌「筑前名所図絵」を完成させた。

その大部の書中に、博多の総鎮守として知られる櫛田神社の祭礼・博多祇園山笠が同社の鳥居の前
を行く図がある。

その櫛田神社の正面に、現在建つている鳥居に刻された記年を確かめると「延宝三年乙卯奉正月下
浣之日」とある。延宝三年は一六七五年にあたるが、「筑前名所図絵」の完成が、後れて約一五〇
年後の文政四年・一八二一年であることから、現代の博多っ子は、玉瀾画中のものと同じ鳥居を、
今でもくぐっているということになる。

日本三大銘菓の一つとして知られている「鶏卵素麺」の製造元である博多の菓子老舗「松屋」は、
江戸時代の初めから博多っ子がくぐり続ける、櫛田神社正面鳥居が建つ二年前の延宝元年
(一六七三)に創業としたという。

九州帝国大学の名誉教授であった故・宮本又次氏は、その著作・近世商人風土記(昭和四六年・
一九七一・日本評論社)に「松屋利衛門は博多に名高い『鶏卵素麺』の元祖。延宝年間に主人大
賀の商用で、長崎に出向いたときに、鄭という明人から各種の製法を取得、そのなかの一種に改
良を加えて、日本色豊かなものに仕上げたのが、鶏卵素麺の起源である」と、「鶏卵素麺」の起
源と松屋初代・利衛門について、家伝をまとめたと思われる形でふれている。

宮本氏がいう「主人大賀」とは、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて、織田信長、豊臣秀吉、
黒田如水などを相手に活躍した島井氏、神屋氏と並んで博多三傑と呼ばれる豪商・大賀氏のこと
だ。

大賀氏初代・大賀宗九は元、豊後のキリシタン大名・大友宗麟配下の武将で、侍の身分を棄て博
多へと出てきた。松屋利右衛門は、その大賀宗九に連れ立って豊後中津から博多へと出て来たと
も宮本氏はいい、「大賀宗九とともに中津から移ってきた三人の手代のうち、奥村源兵衛は中島
町に、松屋利右衛門は中間町に、畳屋権右衛門は対馬小路に立派な居宅をかまえた」とも近世商
人風土記中に記している。松屋が豪商・大賀氏と深い縁で繋る商家であることは間違いがないこ
とだ。

(つづく)

筑前福岡藩黒田家 菓子御用「松屋利右衛門」その一



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Posted by Frco.Don at 17:37│Comments(0)茶人官兵衛
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