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Frco.Don
Frco.Don
競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2024年03月03日

『大鏡」中の花山天皇出家と安倍晴明/実資日記『小右記」中の義懐への文句

〜 光る君へ 九夜「遠くの国」〜



オープニング。先週放映された散楽一座が、盗賊を働こうと忍び込んだ東三条殿で捕らえられたシーンが再び。
家人たちへ「検非違使へ連れていけ」と、その後の処理を命ずる道長の姿に、バッハ無伴奏チェロ組曲が、



道長が現れる重要なシーンには流されるな、と。鳥野辺で遺体に変わった散楽一座をまひろとふたり、素手で埋葬する場面でも、深く重いバッハ無伴奏チェロ組曲が。チェロの音域はどの楽器よりも人の発声の域に近いそうで、、

チェロに限らず、バイオリンやビオラも使用されて、、。人の心の律動を拾うのには、くみとるのには、弦楽器が他の楽器にくらべて優れているそうで。魔物の存在がその精神空間に占める、平安朝の人々の心理を拾うのには、弦楽器以上のものはないなと思うわけです

で、ドラマは花山天皇出家への誘導、そして退位へと話が進んでいきます。そもそも、兼家外孫・懐仁親王が東宮としてあるという状況では、花山天皇は即位と同時に退位を迫られる巡り合わせにあったのです、

花山天皇が即位すると同時に、早々に退位に追い込むことが兼家にとっての課題でした。

花山天皇退位への筋書きはサンタマリア晴明。



複数ある花山天皇退位事件「安和の変」についてふれる史書中、晴明の関わりについてふれるのは、唯一『大鏡』です
『大鏡』によると、花山天皇が出家を果たそうと元慶寺にむかう途中、安倍晴明邸の前を通ります。その際、先を急ぐ花山天皇の姿を認めた晴明が
「もう、ことは決まっている」と口にしたというだけの話。兼家と晴明の謀議は、「光る君へ」のオリジナルストーリーです

花山天皇出家前年、寛和元年985秋に、北極星へ接近する星が激しく輝いたという天変を晴明は観測。花山天皇の慎みにかける態度が引き起こした凶事だと奏上。兼家とのあいだに画策、謀議を巡らすとは、史書上には描かれてはいませんが、花山天皇退位への予兆を観測していました、、、

そして、ロバート実資。義懐の出世を愚痴る実資に、奥様が「日記にお書きなさい」と。実資は、「書かぬかかぬ」と実資は不機嫌に返事
実は実資の日記「小右記」には、義懐らの花山天皇側近抜擢について「奇々怪々」と腐しています



チェロをはじめとした弦楽器の音色に、まひろ式部の表情は沈む。通奏低音が重い45分間を奏でた今夜でした、、、、

記事内のリンクに不具合がある場合には、ご一報いただけるとしあわせです。
tahi_qz@ybb.ne.jp

紫式部・吉高由里子日記・目次リンク

〜 光の君へ 〜次回予告Movie

那国王の教室・志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ・講演 歴史遠足予定

那国王の教室・志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ・講演 歴史遠足ご報告

那国王の教室・志賀島航路とJRうみなか線DENCHA満員計画クラブ
〒811-0322 福岡市東区大岳3-21-1-301
090-2512-4299・清田
tahi_qz@ybb.ne.jp  


2024年03月03日

ウメの福岡城歴史遠足と教室「福岡城命名3つの異説」

令和6年3月2日(土)13:00・大濠公園ボートハウス横集合。この度は寂しく、こじんまりとご参加2名、写真係パンダと私合わせて4名、、

大濠の向こうに見える大休山・南公園丘陵から降りてきた、尾根筋に築城された福岡城の景観を、玉蘭「筑前名所図会」にある福岡城スケッチとてらし合わせながら江戸時代の風景を脳内再生

060302歴史遠足レジュメ


奥村玉蘭「筑前名所図会」千賀浦古跡図/現大濠公園。中央に三層の武具櫓。左手、福岡城丘陵が海に落ちる部分に小さく、現在、三の丸広場に復元再建中の潮見櫓が描かれている


大濠公園から福岡城内郭に入った地点。現在の三の丸広場西側。左)福岡城内郭西側、大濠汀の土手跡。右)復元再建中の潮見櫓現場前



伝潮見櫓下ノ橋御門。現在再建復元中の潮見櫓との関係、火災にあった下ノ橋御門の再建経緯など、ひとくさりやりながら、、


左)松の木坂御門跡/右)古写真・左から大組櫓・松の木坂御門櫓・屏風櫓
以下、古写真と照合しながら本丸表御門跡祈念櫓跡小中天守台跡→武具櫓跡→鉄物櫓追廻橋跡福岡市美術館へと歩く


本丸表御門と同古写真


祈念櫓と同古写真。祈念櫓は茶室に使われていたともいう、、、


小中天守台から。天神方面を望む。古写真なし



南の丸武具櫓跡石垣と、武具櫓古写真。武具櫓は、福岡城最長・最高×12,5mの南の丸石垣の上に長さ 63m・幅 9m、二階多聞櫓が9m、三階櫓12.7mをのせていた。三階櫓の規模は伊予松山城天守閣に匹敵した


武具櫓は兵営として福岡城が接収されると、現在の中央区舞鶴にあった黒田別邸へ移築された。左)移築作業中の武具櫓骨組.右)黒田別邸移築後の武具櫓


お気に入りのポイント、多聞南隅櫓を見上げるお気に入りのポイントを通過して、本日の歴史遠足最終点・追廻橋跡・鉄物櫓跡へ、、、


追廻橋跡・鉄物櫓跡と同古写真。追廻門橋は、下ノ橋・上ノ橋と三つかかる福岡城内郭へは入る橋の一つ。その名称は外角側に厩があるウマを追い回して出入りさせたいたところから。そして教室・講演会場の福岡市美術館へ


福岡市美術館。進藤一馬初代館長像前

060302那国王の教室「福岡城命名三つの異説」レジュメ

那国王の教室レジュメ一覧

那国王の教室次回ご案内







  


Posted by Frco.Don at 14:09Comments(0)歴史遠足・講演報告