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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2024年04月15日

涙を流した宮仕・清少納言/初めて個を物語した道綱母・寧子

〜 光る君へ 十五夜「おごれる者たち」〜

涙を流した宮仕・清少納言/初めて個を物語した道綱母・寧子

この夜の見せ場は、なにを措いても、桔梗納言と高畑充希・中宮定子の出会い。そして、石山寺での『蜻蛉日記』著者・藤原道綱母、財前寧子とまひろ式部との出会いでせう、、

清少納言の初めての出仕は、正暦四年993だといいます
桔梗納言は、充希定子の挙措に、視線を吸い込まれてしまうのですが、『枕草子』の清少納言は、女房として宮仕のはじまりは、涙をもようすほどに失敗ばかりだったと述懐します、、、

ーーー『枕草子』一八四段
宮にはじめてまゐりたるころ、物のはづかしき事の数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々まゐりて、三尺の御几帳(みきちやう)のうしろに候ふに、絵など取り出でて見せさせたまふを、手にてもえさし出づまじうわりなし。

(中宮御所に初めて出仕したころ、何もかも恥ずかしいことだらけで、涙を流す思いだった。毎夜参上して、三尺のついたての後ろに控えていたところ、中宮
様が絵などを取り出してお見せくださるのを、それに私は手さえも差し出すことが出来そうもない状態でどうしようもなくつらい。)

いと冷たき頃なれば、差し出させ給へる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅なるは限りなくめでたしと、見知らぬ里人の心地には、かかる人こそ世におはしましけれと、驚ろかかるまでぞ守りまゐらする

(それは、寒い頃で袖からわずかに差し出された指先が、それはつややかで薄紅梅色をさしていた。宮中を知らない者などにいわせれば、このようなお人がこの世においでなのかという思いをさせられるでせう)

道綱母・寧子と紫式部の出会いがあったかといえば、なかったのでは?と、諸資料からは考えられます。紫式部は、和泉式部、清少納言、赤染衛門については、その日記に批評としての文字を残していますが、寧子については皆無です。『源氏物語』の着想を石山寺でと云う話も伝説の域を出ません。式部が藤原宣孝と結ばれることについては、これまでもふれてきました。式部、26歳前後、正暦元年990の頃。宣孝は40歳を超えた年齢で、当時の常識でいえば初老の域です。ふたりの暮らしは、わずか2年、長保3年1001に宣孝が死没することで終わりをむかえます。年の離れた伴侶、宣孝の死こそが『源氏物語』執筆の契機だといいます

和泉式部については、中身がないのに気取った歌をつくる。清少納言については出しゃばり、浅薄。一方、赤染衛門については「まことにゆへゆへしく」と、深みのある歌人だと、式部は評しています。

道綱母・寧子については、なにも語らない式部ですが、それまでの文学が『竹取物語』をはじめ、いずれもフィクションであったところに、日記文学を女流ではじめてなした人でした。女性ではじめて、『蜻蛉日記』を著し、個を語ったということです。身分、恋愛、女として懊悩の最中にあるまひろ式部。、女としての個を語る先達、財前寧子との観音信仰の寺、石山寺での邂逅。それは願ってもない機会でした、、、

記事内のリンクに不具合がある場合には、ご一報いただけるとしあわせです。
tahi_qz@ybb.ne.jp

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