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Frco.Don
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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2023年03月12日

東の守り升形門を囲む水鏡天神と勝立寺

【長政の惣構え構想で御遷座の杜、水鏡天神.巻五】
〜 東の守り升形門を囲む水鏡天神と勝立寺 〜

縁起では、福岡城東北の鬼門の押さえとして初代藩主・長政が庄村(現薬院)の容見天神を現在地に遷座奉たとされる水鏡天神社。

宗像沖ノ島の神宝を見せよと求めるが、神威を恐れて断る宗像社人を横目に、キリシタン家臣・籠手田ジェロニモを沖ノ島へよこし、とっとと、福岡城の櫓に収めてしまいます。信心など、それぞれ信じる神を熱心に参れば、それでよいのだと、宣教師に語り唖然とさせる。
水鏡天神社の他、警固神社・鳥飼八幡宮・吉祥天女社なども、長政は福岡城下建設にともない遷座させますが、鳥飼八幡宮遷座は、その跡地に茶屋を建設するためでした。

宗教・信仰に対して、そんな合理的な面をみせる黒田長政。水鏡天神遷座も、福岡城下東の守り・升形門の北に勝立寺、南に同社を配置することで、有事の際の兵駐屯の場を確保したというのが本当のワケだと推測されます。

筑前名所図会の「水鏡天神社図」を見れば、水鏡社の後背は、枡形門から五十川にかかる博多津へとわたる東中島橋まで、要塞然と高石垣が囲みます。水鏡社の北むこうは、升形門をはさんで、勝立寺がやはり、高石垣に囲まれてみえています。


九州大学所蔵の「福岡城下町・博多・近隣古図」升形門部分を見れば、博多湾から肥前堀(現アクロス福岡南側)、対岸の博多津中側、それぞれに石垣がわたされて、その中心にすえられ升形門を囲んで勝立寺、水鏡天神が配されていることがわかります。

江戸中期に筑前を訪れた幕府役人が、博多津中から福岡市中へと案内されて升形門を目にすると、ここから既に福岡城内郭であるのかと、その重厚さに驚き聴いたという話が『博多津要録』に記録されていますが、福岡市博物館制作の福岡・博多津中復元立体模型の升形門部分画像は、納得させてくれます。

  


2023年03月08日

長政以来.ご遷座騒動渦中.水鏡天神さん散歩二 〜「宝篋印塔」と自己紹する宝篋印塔 〜

慶長6年。福岡藩初代・黒田長政公の福岡・博多惣構え構想の街割り以来、二度目。天神ビックバン構想で御遷座が計画される、西日本有数の繁華街「天神」の名の起こり「水鏡天神」さん散策、その二、 〜境内の広田姓 〜の巻

広田弘毅先生幼少時の端正な揮毫による扁額「天満宮」を掲げることで知られる水鏡天神正面鳥居。



その右の柱下には、元和三年に洲崎町が建た鳥居を、明治二十年にいたり、東面を南面に変え、新たにした旨記す建立碑が建つ。

碑には、広田一蔵・広田利平・広田文市・広田正蔵・広田市三郎など広田姓がみえる。なお、広田弘毅先生父君は徳平。東公園・亀山上皇像基壇には石匠・広田徳平とある。

境内を本殿に進み、間垣を入ると左手に、天神社名物の御神牛像がご鎮座。その台座は「安政四年丁巳九月吉祥日 佐伯二郎吉安 石匠 広田平蔵親常」と刻む。



朝鮮人を装う広田弘毅先生。明治36年、未だ東京帝大在学中で朝鮮旅行中の一コマ。




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福岡市政たより 050201号
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福岡城天守台から望む、同鉄御門跡

西鉄多々良川架橋をくぐり抜けるカヤックフリーと
  


2023年03月06日

長政以来.ご遷座騒動渦中.水鏡天神さん散歩一 〜「宝篋印塔」と自己紹する宝篋印塔 〜

慶長6年。福岡藩初代・黒田長政公の福岡・博多惣構え構想の街割り以来、二度目。天神ビックバン構想で御遷座が計画される、西日本有数の繁華街「天神」の名の起こり「水鏡天神」さん散策、その一、 〜「宝篋印塔」と自己紹する宝篋印塔 〜の巻


水鏡天神さん玉垣右手に建つ宝篋印塔。笠と呼ばれる天蓋部分と、基壇に挟まれた塔身正面には大きく梵字が記されるのだが、こちらは、塔身と基壇の間に、主役の塔身をしのぐ大きさの角石を組み、わざわざ、宝篋印塔と自己紹介の文字が記されている。


「宝篋印塔」の「宝」は異字体「寚」。

墓所墓石に「墓所」と記すような例がない事と同様に、宝篋印塔・塔身、基壇の間に異例の石を重ねて「宝篋印塔」と記す例はない。
これは、歴史的遺物と化した宝篋印塔について、一般の者への説明として、建立主が加えた異例であり、優れて現代的な行為といえる。
異例な刻字を付す、第二の塔身といえばよいのか、もう一つの基壇と称したらよいのか、その背面に記された十ほどの奉賛者名は、大神・橋爪などなど。
同宮境内に散在する石灯籠や狛犬、御神牛像、記念碑に刻まれる奉賛者名は、それぞれ、旧藩士姓グループ・商人名グループに別れている。

この近代型、または、現代型、自己紹介宝篋印塔の奉賛者はどちらでせう、、、か、、




塔身月輪中の梵字は大日如来を表す「a」


宝篋印塔構造図


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