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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2015年02月22日

玄洋社関係者が創建した福岡警固教会

★玄洋社関係者が創立に関わった福岡警固教会
☆昭和六十二年七月二十日〈玄洋三十三号〉
「玄洋社とキリスト教」





























【Susumuチャンネル】
  


Posted by Frco.Don at 13:41Comments(0)福岡の建物

2013年04月27日

福岡の建物歴史編/聖福寺で茶の接待を受けたザビエル





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イエズス会宣教師・フランシスコ・ザビエルとジョアン・フェルナンデスの二人は、平戸から京都へと向う途中の、天文19年(1550)11月に博多の聖福寺を訪ねます。

聖福寺の寺僧達は、紅毛碧眼の見慣れぬ客人二人に茶菓を用意して応じました。

天竺国・インドから使わされた仏門の一派であろうかと、寺僧達は面会したそうです。
禅寺での会合であったことを考えれば、その際に出された菓子は、饅頭かそば切りあたりだったとかと思われます。

ところがザビエルは膝前の茶菓には目もくれず、仏教徒が仏像などの偶像を拝すること、その頃、寺院において男色があたり前に行なわれていたこと、などについて一方的に激しく詰問した上、居並ぶ僧達を罵倒して立ち去ったそうです。

せっかく用意された菓子にも茶にも、ザビエルは、手をふれることさえなかったわけだが、博多とキリスト教との出合いは、こうした形でやってきました。









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Posted by Frco.Don at 16:32Comments(0)福岡の建物

2013年04月26日

福岡の建物歴史編/リンドバーグ着水の名島水上飛行場跡





画像は福岡市東区城浜の一角に立つ「名島水上飛行場跡碑」です。
かつてはここに水上飛行場があり、リンドバーグ夫妻も飛来しました。
ちなみに、揮毫の文字は8代前の福岡市長で玄洋社最後の社長「進藤一馬」
翁によるものです。

昭和4年(1929)8月に日本航空輸送株式会社が福岡支所を開設。
6人乗り水上飛行機が 大阪との間を1日一往復していました。
運賃は35円だったそうです。






リンドバーク夫妻は、昭和6年(1931)8月26日に 世界一周の途上、単発水上飛行機(ロッキード・シリウス)で着水。9月19日に福岡から中国向け出発したそうです。




《名島でのロッキード・シリウス号機上のリンドバーグ夫妻》




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Posted by Frco.Don at 17:27Comments(0)福岡の建物

2013年04月25日

福岡の建物歴史編/アサヒビール博多工場内の二つの古墳

画像1点目は、アサヒビール博多工場の搬出入口です。大きなトラックが、いつも出入りしています。その左手に森が見えますが、こちらに「東光寺剣塚古墳」「東光寺剣塚北古墳」と古墳が2基あります。古代の王が少なくとも2人、眠っているということです。



《アサヒビール博多工場搬出入口》

市の案内によると、、、

【東光寺剣塚古墳・東光寺剣塚北古墳】

古墳は、6世紀中頃に築かれた。墳長75m、高さ7mの前方後円墳である。
二段築成の墳丘周囲には三重の周溝がめぐり、総長は約126mとなる。墳丘および二重周堤には人物・鳥などの形象埴輪や、円筒・朝顔形埴輪がめぐる。
内部主体は後円部にある複室の横穴式石室で、後室には石屋形と呼ばれる石棺がある。江戸初期にはすでに開口しており、出土遺物は鉄刀、鉄鏃、玉類、須恵器など若干にとどまる。埴輪はアサヒビール工場内の展示館で見学できる。
福岡平野の首長墓の系譜に連なる古墳である。剣塚古墳の北約50mには、墳長30m以上で、周溝を持った剣塚北古墳が確認されている。

* 見学申込みは正門受付で。公開時間9時から16時(受付15時30分まで)。12月30日から1月5日を除く。

と、なっています。市の文化財に指定された古墳が2基が民間企業が所有する民有地内に保護されている、というワケです。




《古墳への入り口》




《案内板》




《東光寺剣塚古墳の森》




《東光寺剣塚北古墳玄室正面》








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Posted by Frco.Don at 13:29Comments(0)福岡の建物

2013年04月24日

福岡の建物歴史編/マリリン・モンロー宿泊の国際ホテル


画像は福岡市博多区中洲5-3-8のアクア博多ビルです。在福岡ベトナム総領事館などがテナントで入っています。

同ビルが建つ前には長く城山観光ホテルがあり親しまれていました。



戦後の頃には国際ホテルが建ち、昭和29年(1954)2月に来日、福岡にも立ち寄ったジョー・ディマジオ、マリリン・モンロー夫妻が泊りました。

国際ホテル前の道路を渡ると、当時、ロイヤル中洲店花の木があり、夫妻は食事をしています。この時、マリリンモンローが、オニオンスープを大変気に入り、何杯もおかわりしたという話しが残っています。




          《国際ホテル時代のビル》





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Posted by Frco.Don at 16:56Comments(0)福岡の建物

2013年04月22日

福岡の建物歴史編/博多駅前祇園町交差点の博多1号古墳



《博多区祇園町交差点の西鉄祇園ビル》

▼ 福岡の建もの 歴史編 博多区 西鉄祇園ビル ▼

〜JR博多駅前の祇園町交差点に長軸50m級の古墳があった話し〜

JR博多駅博多口から、大博通りを南に行くと、すぐに祇園町交差点があり、西鉄祇園ビルが白い壁を見せて建っています。

この辺りの地形は、元々、同ビルの辺りが小高い丘陵をなし、緩やかに北側の呉服町交差点に向けて傾斜を見せていました。

そんな、かつては、小高い丘だった西鉄祇園ビルの玄関から奥に向いて50m級の古墳が築造されていました。
古墳は「博多1号」墳と呼ばれ、近くを流れる御笠川沿いに、転々と跡を残す古墳のなかで最大級の規模です。

地図の中央、変形交差点になっている、丁度、西鉄祇園ビルの敷地上に鍵穴型の印が古墳跡です。








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Posted by Frco.Don at 13:25Comments(0)福岡の建物

2013年04月17日

木造坐像日本一「福岡大仏」福岡のオブジェ


 凡そ1200年の昔。空海は唐へと渡り、遍照金剛(へんじょうこんごう)という最高の称号を与えられ、密教の祖を継いだ。このことは、インドから興った密教を空海が引き継ぎ、その宇宙の中心を日本国へと移したことを意味する。この事実は、日本人の誰かがローマ法王となったうえ、法王庁も日本国内へと移してしまい、日本が世界のカトリック信者の信仰の中心になってしまうことに例えられる。






 遍照金剛となって日本へ戻った空海は、ワケがあって、すぐには都へは上らずに、福岡・博多に二年のあいだ暮らしている。この時に空海が建立したと地元では伝えられている寺が、JR博多駅から、まっすぐ北へ徒歩10分の位置にある。東長寺だ。空海が開いたという、この寺に、現住職・藤田紫雲師の尽力で勧進された高さ16.1mという、木彫座像としては日本一の大きさを誇る福岡大仏と呼ばれている釈迦牟尼仏がおいでだ。

 昭和48年に51世住職として同寺に着任した藤田師は唖然とした。境内は草が生い茂り、子ども達の虫取り遊びには格好の広場となっていた。寺は荒れ果てていたのだ。国内で一番背が高いお釈迦様の木像誕生の原点はここにあった。藤田住職の東長寺復興への強い思いから大仏作りはじまることになる。






 ある日、広島に大きな木造の仏様があるというので、藤田住職は、その頃、博多で開業したばかりの高井宗玄仏師と見に行った。 

 二人は、その時、厳島神社へと寄るのだが、住職は仏師にみくじを引くよう促した。そして「仏師、凶が出れば大仏建立をこの場決める」と言った。仏師は驚いた。みくじで「凶」が出る確率は1/100程度なのだ。ところが仏師はみごとに「凶」を引く。






 久しぶりに大仏の前に立つと、変わらぬ巨大さに圧倒された。加えて、建立のはじめの頃より一層の「温もり」が仏殿一杯に満ちている気がした。住職は、「拝むことで変わっていく、仏様の表情、お姿というものがあります」と教えてくれた。

「大仏は、どうしてこのようなお顔をしていらっしゃるのだろう。大仏のお顔にある意味を探りながら、拝んでもらいたいのです」とも住職は語った。

 膝元にグルリと、地獄図が掲げられたトンネルが回っている。半ばから、通路は真っ暗になり、一寸先も見えないまま、出口までを手すりを頼りにこわごわ歩かされる。出口で再び光を浴びると、生き返った気分にさせられ、ほんとうにホットする。地獄に堕ちたものの、大仏様のご慈悲で生まれ変わったというコトだ。

 平成4(1992)年から博多の真ん中に座る、日本一大きな木彫の大仏様。拝観料は無料だ。





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Posted by Frco.Don at 11:27Comments(0)福岡の建物

2013年04月13日

福岡の建物/歴史編 中央区天神 安国寺/博多区吉塚 明光寺

天神の曹洞宗・安國寺と吉塚の明光寺の飴買い幽霊



福岡市の都心・天神に境内を広げる「安国寺」


《安国寺》吉田又三郎・妻/「岩松院殿禅室妙悦大姉」

 福岡市の中心街・天神に境内を広げる曹洞宗・安國寺は、江戸時代初期に旧領・豊前中津から福岡初代藩主・黒田長政が現在地へ移設した。そんな由緒を持つ同寺には、延宝七年(一六七九)のこととして飴買い幽霊の話が伝わっている。

 同寺近くの鍛冶屋町に、老夫婦がほそぼそと営む飴屋があった。その飴屋に毎日、日没近い刻限になると、三文分の飴を買いにくる女がいた。それは美しく、整えた髪といい、着物の着こなしといい、いかにも高貴な奥方風であった。ただし、どこかしら暗い影が漂い、発する言葉も消え入るようにか細く力がなかった。ある日、飴屋の老主人は、いつものように三文分の飴を受け取り去って行く女の後をつけた。

 日没迫る薄暮の中を、からりころりと下駄を鳴らす奥方を密かに追うと、夕日を引いて道に映るはずの影が、その後ろ姿にはなかった。飴屋は、ぞっとするのを抑えて、今少しついて行くと、女は安国寺の山門をくぐり、そのまま墓石が並ぶ境内の奥へと消えた。と、女の姿が消えた先に見える、まだ土盛りを終えたばかりの、新しい墓から赤子の泣き声がする。これは、どうゆうことだと、飴屋が住職にそのことを知らせると、早速、墓を開いてみることになった。すると、飴を買いに来ていた女の姿が亡骸となって横たわっている横に、あいくるしく両の掌を揺らして女の赤ん坊が並んでいた。

 女の墓石には「岩松院殿禅室妙悦大姉」と藩主か家老職級、あるいは大商人などに限られる高位の院号が入った戒名が刻まれている。寺伝によれば、この墓に眠る女は吉田又三郎なる人物の母とされ、延宝七年七月十九日が命日となっている。ただし、福岡藩士の記録である福岡藩文限帳にその名を見つけることはできないという。

 墓石の腰には、子が母親にすがりつく姿に似た形で、墓から救われた女の子の墓石が並んでいる。
 女の子は、その後、育てられたが、三歳か四歳で死んでしまったという。
 

《明光寺》 飴買い幽霊の子 鉄相禅師

 福岡市博多区吉塚の明光寺は、明治四十三年(一九一〇)に道路の拡張工事に伴い、博多区上呉服町・当時の東町から現在地へと移った。

 同寺にも若い女が毎夕、六文分の飴を近所の飴屋に買いに来ていたという飴買い幽霊の話が伝わっている。
 話はおおよそ安国寺と同様で、怪しんだ飴屋が女の後をつけると、明光寺へと入ってくが見失った。すると赤子の泣き声が聞こえてくる墓がある。住持に事の次第を話して、墓を掘り棺を開いてみると、女の亡がらの横で男の赤ん坊が泣いていた。墓は、最近、懐妊したものの、臨月に入って病死した檀家の若い婦人のものだった。

 この赤ん坊は寺で育てられ成長するが、名筆家として知られることになる江戸時代中期の明光寺第十七世住持・鉄相禅師が、その人だという。

 名筆家らしく、禅師には天狗の筆競べの話が伝わっている。

 ある夜、禅師の夢に天狗が現れる。天狗は「明日、筑紫野の宝満山で筆競べが行なわれる。聞けば禅師の筆は宇大第一という。そこで、明日の筆競べが行なわれる昼までの間、禅師の右腕を借り受けるぞ。借り受けた腕で筆競べに勝つことができれば、その肩に無事返してやろう」と言う。禅師が目を覚ますと、右腕は肩にぶらさがってはいるものの、力が入らず利かなかった。

 禅師がそのまま眠ってしまうと、再び、天狗が夢に立ち、「おかげで第一の書を得た、腕を返してやる」と言った。目が覚めると右腕はあたり前に動いたという。

 天狗は、筆競べに勝った礼に、火気が禅師の文字を除ける術をかけた。以来、禅師の文字は出火を防ぐと噂になり、博多ではこぞって、禅師の文字を求め家中に貼っていたという。鉄相禅師、元文三年(一七三八)遷化。





「岩松院殿禅室妙悦大姉」の戒名が刻まれた安国寺・飴買い幽霊の墓碑






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Posted by Frco.Don at 13:39Comments(1)福岡の建物

2013年04月12日

青木繁終焉の松浦病院/現・ゲイツビル周辺


代表作「海の幸」で知られる、日本近代絵画を代表する画家・青木繁は現在の福岡市博多区中州にあった松浦病院で明治44年(1911)年の3月に、28年の短い生涯を終えます。

前年から喀血を見るようになり、佐賀県の古湯温泉で転地療養を行っていましたが、病状が悪化し松浦病院への入院となります。

渡辺洋氏著作の「青木繁伝」(小学館)によると、松浦病院入院中の繁は、体調がいい日には、医院近くの櫛田神社など、界隈を散歩していたようです。病室から友人に送った最後の手紙の中に上京し、再び絵筆を振るいたいと記し、再起への執念を残しての夭折でした。

松浦病院は、明治10年に、現在の中州四丁目の博多川側に福岡病院(後の九州帝国大学病院・現九州大学病院)が開設。同医院が馬出へ移転後の明治38年に、その跡地に開設されました。

図中、中央に「病院」とあるのが福岡病院跡地で、その後の松浦病院の開業地です。現在の「ゲイツ」ビル辺りと思われます。



中央に「病院」と見える建物が旧福岡病院で、その後の青木繁が入院した「松浦病院」




青木繁「海の幸」  


Posted by Frco.Don at 15:40Comments(0)福岡の建物