2018年12月25日
白石一郎『海狼伝』中の対馬
〜『海狼伝』の対馬 〜
対馬海峡に向かって開く阿須湾である。
男と海女たちの住居はこの湾内の東部にあった。土地の名を曲という。
曲浦は対馬でも海女たちの住みつく場所として知られている。府中(現厳原)の北東にあり、島内いちばんの都まで歩いても一里二町という便利なところだ。
阿須湾のなかに、南室、小浦の二つの小島があり、男のこぐ舟は南室島の東を回って湾内のさらに小さな入江に着いた。
海女たちが去ると男は小舟を岸へ引きあげ、丸めたボロ布で舟の隅々まで丁寧に掃除する。それがすむと舳先に折畳んで積んでいた大きな筵をひろげて、舟ぜんたいにすっぽりとかぶせる。
伝馬船に毛の生えたていどの漁師舟だが、男にとっては命の次に大切な宝ものなのだ。この舟を失えば明日からの生計にも困るだろう。
取りはずした長い櫓を右肩にかついで入江の林のなかを抜けでたとき、
「大将・・・・・」夕闇がたれこめてきた路傍に女が佇んでいた。
「今夜ね、いつのところで」
さきほどの若い海女だ。
「うん」
白石一郎『海狼伝』文春文庫10.11p