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競走馬育成牧場でおぼえた騎乗。その後、全国8カ所・8種の在来馬を乗り歩く。平成30年宗像大社春季大祭・流鏑馬騎手。ヨットは我流。カヤックイベント企画、カッター先生。住吉能楽堂講座・企画運営.講師、街歩き「那国王の教室」企画・運営などなど、、、

2013年04月12日

青木繁終焉の松浦病院/現・ゲイツビル周辺


代表作「海の幸」で知られる、日本近代絵画を代表する画家・青木繁は現在の福岡市博多区中州にあった松浦病院で明治44年(1911)年の3月に、28年の短い生涯を終えます。

前年から喀血を見るようになり、佐賀県の古湯温泉で転地療養を行っていましたが、病状が悪化し松浦病院への入院となります。

渡辺洋氏著作の「青木繁伝」(小学館)によると、松浦病院入院中の繁は、体調がいい日には、医院近くの櫛田神社など、界隈を散歩していたようです。病室から友人に送った最後の手紙の中に上京し、再び絵筆を振るいたいと記し、再起への執念を残しての夭折でした。

松浦病院は、明治10年に、現在の中州四丁目の博多川側に福岡病院(後の九州帝国大学病院・現九州大学病院)が開設。同医院が馬出へ移転後の明治38年に、その跡地に開設されました。

図中、中央に「病院」とあるのが福岡病院跡地で、その後の松浦病院の開業地です。現在の「ゲイツ」ビル辺りと思われます。

青木繁終焉の松浦病院/現・ゲイツビル周辺

中央に「病院」と見える建物が旧福岡病院で、その後の青木繁が入院した「松浦病院」


青木繁終焉の松浦病院/現・ゲイツビル周辺

青木繁「海の幸」


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Posted by Frco.Don at 15:40│Comments(0)福岡の建物
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