冬の海に舞う海幸・山幸末裔.志賀海神社歩射祭神事、胴結舞.勝馬詣.汐掻き/昼:那国御膳
令和6年1月13日(土)9:00
福岡市営渡船志賀島航路・
志賀島待合所集合
9:00志賀海神社境内東汀
「禊之瀬」を見下ろす防波堤入り口で、海の中道が、少なくとも磐井の時代まで遡り、御祖神イザナギ・イザナミ二神を祀る二神山とよばれたと推測される立花山と、志賀島に鎮座する、その御子神綿津見神を齋う志賀海神社とを結ぶ道であること。また、志賀島・海の中道・新宮・宗像沖へと開く海域は、イザナギ・イザナミ神話・禊神話を展開させる空間だと、ひとくさり、、、
禊之瀬の潮につかる左)射手と神職。
志賀海神社は元旦も、祭礼も、ここ禊之瀬からはじまる。胴結宿(社務所)に籠る射手八名は毎朝未明みそぎを繰り返す
翌、14日に祭行される「歩射祭」での弓・矢神授のための射手たちの通過儀礼・苦行が、この日、繰り返される
9:45
志賀海神社境内へ、、
末社・今宮社と本殿に祭祀される綿津見神との関係が、香椎宮創建という、大和政権による神祭りの全国統制の完成を物語るなど、ひとくさり
遥拝所は真東にむく。毎朝・毎夕、神職は真東に神宮を遥拝。海の中道の根元も、また、真東にあたり立花山・二神山がそびえる。神職は意識するか、無意識か、志賀海社・綿津見神・御祖神イザナギ坐す頂を拝してもいる、とも、ひとくさり、、、
10:30「胴結舞」
参道鳥居前で修祓。射手は交代で100キロの藁包を背負い、
阿曇宮司邸前、
御旅所前と練り歩く。
動画2「胴結舞・御旅所前」
https://youtu.be/kbkt4oS84P4?si=2mdxsTMnsaoZkym_
12:00
まさご屋さんで「那国御膳」
13:00「勝馬詣・ガラモ刈り・
中津宮参り」
志賀海神社本社から、志賀島北岸の
勝馬・舞能之浜へまわり、射手八人は、騎馬を組み対岸の
沖津宮島の岩礁にわたる。海水に飛び込んではガラモという海藻を刈り、岩礁に戻るとガラモをかかげ「舞能の岸の姫松や」と発声しながら、定位置で一回転するという原初型の舞をまう。長の者の「ならぬ」の声に従い、新参の射手は3度ほどガラモ刈りを強いられる。神話学の泰斗・松前健氏は、神話の儀礼化、儀礼の神話化を指摘する。海幸山幸神話は、その一例であり、北部九州の海神族のあいだでおこなわれていた通過儀礼の神話化だという。ガラモ刈りを数、強制される所作は、弟・火遠理命・山幸比古が、失った釣り針を償うのに、自身の剣を鋳潰して百、千の釣り針を打つても兄・火照命・海幸比古は許さなかったという神話を象徴する儀礼だと考えられる。
ガラモ刈りを終えると、白装束を着け中津宮に。「舞能之浜の姫松よ」で舞を奉納
18:00「浜下り・御汐掻き」
日没とともに、翌日「歩射祭」で矢の世話をする矢取りの子どもたちと射手が揃い、
渡船桟橋横の浜へ下りミソグと、御旅所前にもどり、今度はオケ樽に用意された真水で、またミソグ、、、
14日「歩射祭・弓射神事」
9:00 本殿神事「八乙女舞奉納」・今宮神事
「弓取式」射手と矢取りの子
いとうべんさし「天地和合して、東西南北悪魔を祓え」と呪す、、
走る矢取りの子
射手八人。三度三手・九射に一年の吉凶を賭けて立つ。射抜けば神威が昂まる、、
次回予告、、
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