秀吉が喰った如水庵の菓子

Frco.Don

2009年07月21日 16:41

秀吉が食べた五十二萬石本舗さんのお菓子(2)

秀吉に菓子を喰わせた五十二萬石の祖・松永庄右衛門

ノン・フィクションであるはずだが、読者に推理小説を読ませるかと錯覚させる「筑紫菓匠 五十二萬石如水庵 創業四二〇の軌跡」という珍妙なる著作。

同書の主人公である、五十二萬石本舗如水庵の祖であり、天正十五年に博多郊外の箱崎浜で茶会を持った豊臣秀吉に菓子を呈上したという松永庄右衛門とはいったいどのような人物なのだろうか。

同書・第三章「筑紫菓匠・五十二萬石本舗如水庵の系譜」冒頭に松永庄右衛門についてまとめた部分が見え、

 松永庄右衛門は、五十二萬石本舗の前身である菓子屋『榮松堂』の初代であり、
 農業を営む傍ら、菓子造りを始め、秀吉の箱崎松原茶会の菓子をつくったと伝わ
 る。

 松永家はかって、犬飼村や比恵に広い田畑を持つ松永庄を持っていたといわれる。

 また、松永家は長崎にも知人がおり「砂糖」などの入手の経路を持っていたと思
 われる。

 初代福岡藩主黒田長政(一五六七〜一六二三)の時代では、松永家は米糖の御用
 を司り、銘菓「松風饅頭」で知られ、苗字帯刀を許されていたといわれる。

などのことが上げられている。

さて、これらについて、証拠を挙げ歴史的な事実であることを証明するのが「歴史研究家」と同書中自称されている著者・荻野忠行氏に課された仕事であろうし、同書が出版された目的なのだが、全くその用を達していないとしか言いようがないのが実体だ。

庄右衛門が農業を営む傍ら、菓子造りを始め、秀吉の箱崎松原茶会の菓子をつくったということについての裏付けは、五十二萬石本舗現社長である森光二郎氏から聞いた話と、先代か先々代当たりが発行していたと思われる、菓子箱に貼付するチラシの記述を持ち出し説明されている以外に、何の根拠も示されてはいない。

長崎からの「砂糖」入手についても、森家に伝わる家伝が根拠にされているようだ。

米糖御用と苗字帯刀の件についても、先代から森氏に伝わる話がそんまま引用されている始末だ。

刀が森家にあったことを上げて、松永家の苗字帯刀の件が事実であったのだと、「歴史研究家」らしからぬ記述も別にあって、これには、唖然とするしかない。

とにかく、秀吉に菓子を食わせるという、大げさに言えば歴史的行為を行ったとも言える人物だと荻野氏が主張する松永庄右衛門なる人物の存在を証明するのに、福岡藩の記録や安武文書などの旧粕屋郡犬飼村周辺を触れとして任せられていた総庄屋の記録、または博多津要録などの古文書など記述を挙げての「歴史的検証」は全く見られない。

そんな著作が世に出されたことによって、福岡菓子組合の間で創業に関する論争が巻き起こり五十二萬石本舗さんは警告書を突きつけれれることになってしまう。

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   〜 闘争する雑誌 Web板 7月21日週号 目次 〜

  ・ 連載・政治を調べる(2)/議員第二の給料50万円「政務調査費」の行方 

  ・ 秀吉が食べた五十二万石本舗さんのお菓子(2)その確たる証拠は?

  ・ 天の邪鬼コラム(1) 自民細田幹事長、国民の程度発言 
               幹事長!国民の程度は自民党の先生方の程度


  ・ 天の邪鬼コラム(2) 麻生首相ついに「 泣くな!解散 」 
               首相、泣かんでもよかでッしょ!
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