大嘗祭祭儀の始源、阿曇神話・海幸山幸神話と龍神

Frco.Don

2024年02月23日 00:23

龍神と綿津見神の混同に応える一文、、、



さて、龍です。

漢高祖・劉邦は、龍が父。龍と結ばれた母が産んだという伝承をもちます(『史記』)。

古代中華の魔物辞典といえる春秋戦国時代(BC770~221)成立の『山海経』に、始祖黄帝は龍に乗ったとあります。

高麗始祖王・東明王の母は河伯の子だといいます。(『魏書』『隋書』『周書』各高麗伝 『三国史記』『広開土王碑文』)。河伯は、つまり龍。

新羅始祖・朴赫居世の妃は、龍の脇から生まれたといいます(『三国史記』『三国遺事』)。

世界最古の龍を象る遺物が、BC4000年頃のものとされる、西水披遺跡(現共産中国河南省濮陽市)遺跡から出土しています。遺体を取り巻き敷き詰められた、貝殻で描かれた龍だそうです。昨夏には、BC4500~3000年の遺跡と考えられるモンゴル自治区彩陶坡遺跡から龍頭の飾りが出土しました。

そういえば『ゲド戦記』に龍、ドラゴンが活躍するな、と、思い出してネット上での確認ですが調べてみると、ギリシャ・ローマ神話、メソポタミア神話、ケルト神話、ゲルマン神話、いずれにもドラゴンが登場します。

では列島、豊秋津島国ではどうでせう。

記紀神話中の始祖神話、ニニギノ命の降臨。ホスソリ命・ホスセリ命・ホオリ命が活躍する海神宮巡遊、いわゆる海幸山幸神話。そして、アメノオシホミミ命からスサノオ命・ヒルメムチ、イザナギ命・イザナミ命、タカギムスビノカミへと遡りますが、どこにも龍の登場はありません。

ホオリ命とのあいだにウガヤフキアエズノ命を産んだ、トヨタマヒメ命が産室で化身した姿はヤヒロノワニであり龍、ドラゴンではありません。スサノオ命がクシナダヒメノ命を救おうと戦った相手はヤマタノオロチ。大蛇。

ギリシャ・ローマ神話中の人界始祖神話、朝鮮始祖王神話と、海神宮巡遊神話、イザナギ・イザナミ神話との間には共通する話素が多々あります。

東西をトルコ系騎馬遊牧民、スキタイ系騎馬遊牧民が共通する話素でつないだのだろうとは、現代の比較神話学界では通説です(大林太良・吉田敦彦・守屋俊彦・松前健・松村武雄・次田真幸)。

ここで不思議なのは、海神宮巡遊神話、イザナギ・イザナミ神話が形成されたと推測される、縄文時代中期から弥生時代前期には、龍、ドラゴンを登場させる神話が半島まで届くのですが、列島まで降りてくることはなかったということです。この件については、ただただ、謎だと考える他なく、説明する理屈の持ち合わせはありません。

さて、しかし、それでも、道教の流入がはじまる古墳時代以降には、古墳からの出土品に龍頭鉄剣がみられることや、宇多天皇即位時、仁和三年887に黄龍が現れたとの報告がなされる(『扶桑略記』)。10Cの船載品と考えられる宗像神社の金銅製龍頭など、龍神信仰につながる事物がみられるようになります。

これらは、海神宮巡遊神話、イザナギ・イザナミ神話が成立するのに遅れて、古墳時代以降に豊秋津島国に流入した龍神信仰の流入を示唆する事象や遺物ですが、龍神信仰は、あくまで河川と降雨への信仰であり、荒川絋氏が著書『龍の起源』で「代表的な龍が黄河の神である河伯である」と述べるように水神への信仰なのです。広く海洋を主宰する神、綿津見神への神祭りとは異なります。

中世にいたり、海神宮巡遊神話の舞台、ワダツミノイロコノ宮を竜宮城と記すようなことが起こったところから、水神信仰である龍神信仰との混同が始まったのでせうが、神祭りとしての内容、質は異なります。

これまで日向神話と呼ばれて、隼人族が伝承する神話とされてきた海神宮巡遊神話ですが、守屋俊彦氏は「そこで思うにこれはもともと阿曇氏の管理していた降神の儀礼であったのではないだろうか」(『記紀神話論考』雄山閣p363)と述べます。海神宮巡遊神話、海幸山幸神話は、阿曇氏が伝承する降神儀礼の神話化だということですが、同説も現在の比較神話学では、最も有力な説として通っています。

同神話は、天津神と綿津見、つまり海神とのあいだの婚姻、共食、犬の遠吠えなどの話素から構成されますが、これは大嘗祭の祭儀に通じます。そうした点から、同神話は「大嘗祭儀を反映したもの」([海幸山幸神話の形成と阿曇連」次田真幸『日本神話研究』3p119)と松前健氏は指摘します。翻って推測すれば、海神宮巡遊神話から再生される阿曇氏における、王継承についての祭儀が取り入れられて大嘗祭は、その形を整えたとも考えられます。

大嘗祭祭儀の原点とも考えられる、綿津見神信仰、阿曇の神祭りは、龍神信仰とは全くことなるものです。

画/青木繁「ワタツミノイロコノ宮」

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